68号 LEADER’S MESSAGE 特集【医学・生命科学系の先端研究】
様々な分野の知を結集してブレイクスルーを
京都大学総長
湊 長博
変化の激しい現代、その中でも日本の医学・生命科学系の研究は大きく発展し続けています。
日本でトップクラスの医学・生命科学の研究を行う京都大学の湊長博総長は、ご自身も医師として臨床の場に立った経験を持ちつつ、ノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶佑博士と共に、がん免疫研究を牽引してきた研究者でもあります。
湊総長の描く日本の医学・生命科学の展望を伺いました。
12年間の臨床医療から基礎研究へ
― 湊総長は長年、免疫学などの研究をされてきて、様々な素晴らしい成果を残してこられました。免疫学研究の道へはどのようなきっかけで進まれたのでしょうか。
大学3回生のときにオーストラリアの免疫学者フランク・マクファーレン・バーネットの本を読んだことがきっかけでした。この本に感銘を受け、免疫学の研究室を訪ねて研究をさせてもらっていました。
そして、医学部5〜6回生のときにその研究室の協力を得て、英語で論文を執筆する機会があり、その論文を読んだニューヨークのアルバートアインシュタイン医科大学のバリー・ブルーム博士から卒業したら来ないかと声をかけていただきました。卒業後、2年間のインターン研修に入りましたが、再度お誘いを受けたので、研修を終えた後すぐにニューヨークへ留学することにしたのです。
ニューヨークでは3年間、好きなように研究させてもらい、論文もかなり書きました。今後のキャリアをどうしようかと考えていたとき、ブルーム博士に、当時メリーランド州のボルチモアにおられた石坂公成先生を紹介していただきました。石坂先生に相談したところ、「まだ若いのだから、一度全く別の世界を経験した方がいい」と、当時、自治医科大学内科におられた高久史麿先生を紹介されて、日本に戻ることになりました。
結局、自治医科大学には12年在籍し、内科医として臨床の現場で様々な病気の患者さんを診させてもらいました。今振り返ってみると、この経験はとても大きな財産になったと思います。その後京都大学に戻り、奇しくも石坂先生が立ち上げられた免疫学の研究室を担当して、改めて免疫学の基礎研究に取り組むことになりました。当時は基礎医学から臨床医学に移る人はあっても、私のように臨床医学から基礎医学に行くという人は珍しかったと思います。
京都大学には多彩な研究者がいて、教室もオープンで、インタラクションが活発になされ、医学以外の研究者とも盛んに交流しました。その結果、共同研究もたくさんやりました。中でも一番長かったのは医化学を専門とする本庶佑先生との共同研究でした。最終的にこの共同研究から、現在のがん免疫療法へとつながるコンセプトをつくることができました。時間はかかりましたが、私たちの基礎研究をもとに治療薬が開発され、今日の臨床応用にまで行き着きました。本庶先生が2018年にノーベル生理学・医学賞を受賞されたときはもちろん嬉しかったですが、実際に人の治療にまで辿り着けたという感慨は大きかったです。
異分野融合が京都大学の生命科学研究を切り開く
― 京都大学では、医学・生命科学分野の研究はどのように発展してきたのでしょうか。
京都大学は伝統的に数学、物理学、化学が強い大学でした。生命科学はそれらの学問領域よりも少し遅れて発展してきたという感じですが、今や生命科学は京都大学の大きな看板のひとつになっています。
京都大学の生命科学領域は、異分野融合-スクラップ・アンド・ビルドを積極的に実践することにより発展してきたと言えますが、その典型例が1999年に設置された大学院生命科学研究科です。もともと京都大学ではいろいろな部局で生命科学の研究が進められていました。理学部では生物物理学や発生学、農学部では植物学や遺伝学、医学部では医化学、神経学や免疫学、ウイルス研究所(現・医生物学研究所)ではウイルス学や分子遺伝学などという感じです。
これらの研究者たちが学内でコミュニケーションを取りながら研究を進めているうちに、一緒になってひとつの大学院研究科をつくろうという機運が出てきました。そして、5年くらい議論を重ね、生命科学研究科が新設されることになったのです。
当時としてはかなり画期的な取り組みでしたが、最終的には新施設もできて、京都大学の生命科学発展の礎をつくりました。
ひと言で生命と言っても、動物、植物、線虫、細胞、微生物など、対象は様々です。いろいろな分野の人たちが集まって生命について議論をする雰囲気がとてもよかったと思っています。
医学部からは中西重忠先生と私が参加し、10年近く生命科学研究科に籍を置いて研究しました。私の研究室には医学のほかに、理学、薬学、農学、時には工学からも若い大学院生がたくさん入ってきて、自由闊達に研究を進めることができました。
― 生命科学研究科はその後、大きく発展を遂げますね。
生命科学研究科の成功は、世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)拠点につながっていきます。京都大学にはふたつのWPI研究拠点がありますが、最初にできたのは2007年に設置された「物質-細胞統合システム拠点(iCeMS:アイセムス)」です。
iCeMSは先端的化学やナノマテリアルの技術から細胞の仕組みを解き明かし制御するというコンセプトで始められ、当時、工学研究科に所属していた北川進先生や再生医科学研究所(現・医生物学研究所)の山中伸弥先生など化学や生物学の精鋭の若手研究者が集まりました。iPS細胞研究を進めていた山中先生は、やがて独立してiPS細胞研究所を立ち上げられることになります。WPIは10年間の補助金プログラムですが、iCeMSは補助金終了後も京都大学高等研究院内の研究拠点として、現在もさらに大きく研究活動を展開しています。
もうひとつのWPI研究拠点は、2018年に設置された「ヒト生物学高等研究拠点(ASHBi:アシュビ)」です。ヒトと広く実験動物として使われているマウスには、同じ哺乳類として当然多くの共通点がありますが、違う部分も多々あります。例えば、ヒトの病気を引き起こす遺伝子変異をマウスに導入しても、違う病気になってしまうということは珍しくありません。病気に限らず、一体ヒトをヒトたらしめているものは何であるのかを探究することを目的として設置されたのがASHBiです。この研究拠点には発生学、ゲノム、臨床医学、数学などの多彩な領域の研究者が集まり、ユニークな研究を展開して大きな成果を出してきています。
様々な分野との交流で新たな相乗効果を
― 既存の学部や研究領域による縦割りではなく、横につながっていったのですね。
研究の進歩には、その深化のみならず、横につながって展開していく必要があります。私は京都大学で学んでいるときから一貫して、新規性、独自性を大切にするよう教えられてきました。ある領域でわかっていることをきれいに整理したり、説明したりするだけではブレイクスルーにはつながりません。
ブレイクスルーを起こすためには、新しい要素を取り込んでいく必要があります。京都大学の生命科学分野の研究者は、パイオニア的な感覚が非常に強いように思います。先に発展してきた数学、物理学、化学の要素を少しでも取り入れて新しい基軸をつくっていくという気概があるのではないでしょうか。
例えば、生命科学研究科には、医学、理学、農学、薬学、工学など様々な分野から若い人が集まってきます。多様なバックグラウンドを持つ人が集まることで、研究が展開し進化します。生命科学研究科が盛り上がってくると、同時にその影響は既存の研究科にも波及します。総じて、京都大学には歴史的に進取の気性があるのだと思います。
― 医学部ではどのような新しい試みが出てきたのでしょうか。
医学部では積極的に先端医療の開発と応用を推進してきています。我が国の移植医療において、京都大学医学部附属病院は肝移植医療のパイオニアの役割を果たしてきましたし、肺移植でも国内トップクラスの実績を積んできました。最近も、新型コロナウイルス感染による重症肺炎患者の肺移植に成功しています。
がん医療では、2007年に病院内にがんセンターを設置し、診療科の壁を越えてがんの診療を行う体制を整えました。一昔前までは日本では、がんは専ら発生した部位によりそれぞれの診療科内で診療が行われてきましたが、がん研究、とくにがん遺伝子変異の研究の進歩はめざましく、欧米と同様オンコロジー(腫瘍学)の概念に基づく治療が進んできました。がんセンターはその動きをいち早く取り入れたもので、現在も非常によく機能しています。
さらに、本庶先生のノーベル賞受賞を契機として、2020年に医学研究科附属がん免疫総合研究センター(CCII)が設置されました。CCIIではがん免疫研究を基礎から臨床まで幅広くカバーし、研究・治療をさらに発展させるための体制がつくられてきています。
もうひとつの柱は、iPS細胞に代表される再生医療の推進です。現在、多様な疾患、とくに難病に対して、再生医療のコンセプトに基づいた細胞治療の治験が進められています。医学の研究成果はすぐに患者さんに使えるわけではありません。必ず適切な臨床治験を経て、国の承認を得る必要があります。京都大学ではそのためのルールや制度づくりにも積極的に取り組んできました。
その一環として、新しい医療の開発のためのトランスレーショナル・リサーチを行うため、2001年に全国に先駆けて病院に設置されていた探索医療センターの機能を拡大、現在は先端医療研究開発機構(iACT)に発展しています。最近では、カルテをはじめ臨床情報も電子化されており、臨床のビッグデータを安全管理し有効利用するためのシステム開発も進められています。
今後の飛躍のために
― 国立大学における医学・生命科学分野の研究の進め方についてはどのようにお考えですか。
国立大学にフォーカスすると、附属病院の運営については、将来的に課題があると思っています。国立大学医学部と附属病院の関係にはかなり特殊なものがあります。医学部は基本的に教育や研究を行う機関ですし、附属病院は患者さんの実診療にあたる場所です。
本来このふたつは別の役割をするものですが、日本の場合は、ひとつの組織が運営を担っており、医学部で教育や研究をする研究者が通常の診療も行うのが一般的となっています。
診療そのものが高度化し、手続きも複雑になっている現在では、このふたつの機能、とくに運営を、一元的に行うことにはかなり無理があるのかもしれません。もう少し臨床研究者にかかる通常の診療行為の負荷を軽減しないと、研究・教育と診療、どちらも行き詰まってくるのではないでしょうか。米国では、同じ大学でも医学部と附属病院の運営は別の組織が担っていますし、欧州でもこの方向が主流になってきています。もちろんこれには、この両者が人的にも強く連携していくことが大前提になっています。
― 湊総長ご自身は臨床と研究、どちらの経験もお持ちですが、医学に携わる者としては、研究と臨床をどのように捉えたらいいでしょうか。
専ら研究に関わる医学研究者も、臨床の現場で患者さんを一生懸命診る臨床医も、どちらも必要です。ですから、自分の興味や関心に合わせてどちらかを選択してもいいわけですが、実際には両方の観点をきちんと持ち合わせた人たちがいないと、研究も臨床も前に進まないことが多いのではないかと思います。
もちろん、かつて臨床現場にいたからといって今も同じようにできるとは限りません。でも、両方を経験すれば、その感覚や感性は自分の中に残り、その後の力となります。臨床診療の現場は医学研究の原点とも言える場です。運営体制を分けても医学研究者と臨床医の連携と交流はできる限り密にしていく必要があります。患者さんだけを診ていても新たな治療法はなかなか生まれませんし、逆に基礎研究だけで現場を知らないと、本当の人の病気に迫るという視点が欠けてしまいかねないという懸念があります。
― 医学・生命科学分野の研究に限らず国立大学全体の研究という点ではどうでしょうか。
研究組織の課題を抱えている国立大学は多いのではないでしょうか。そのひとつが研究体制の硬直化です。古くからある大学であるほど、教授、准教授、助教というようなヒエラルキーからなる3〜4人で研究室を運営するいわゆる小講座が主体となっているところが多いのではないかと思います。小講座制では研究室の中だけで人間関係が完結して、外部との交流も希薄になってしまいがちです。教員人事や学生活動のフレキシビリティーも少なく、なかなか研究のブレイクスルーも望めないのではないでしょうか。
研究室の壁を打ち破るためにWPI拠点なども整備されてきましたが、それらは特区のようなもので、大学そのものの研究体制はあまり変わっていません。このような古い環境ではなかなか若い研究者も育ちにくいように思います。
この課題の解決のためには、まずは日本の国立大学全体のグランドデザインを、改めて議論していく必要があるように思います。1960年にアメリカ・カリフォルニア州では「カリフォルニア高等教育マスタープラン」を策定し、州立大学を、カリフォルニア大学(UC)、カリフォルニア州立大学(CSU)、カリフォルニア・コミュニティ・カレッジ(CCC)の3群に分けました。
UCは研究、CSUは実践的教育や教員養成、CCCは職業教育というように、各々責任を持つべき社会的機能を明示化するというグランドデザインです。結果として、UCの10大学はノーベル賞受賞者を多数輩出し、世界最先端の研究を展開していますし、この試みは成功していると思います。
日本には国立大学が86大学ありますし、公立大学数はこれを超えています。他方で18歳人口の急速な減少は確実に進行しています。しかし、国立大学の責任と機能分化についての議論は不十分だと思います。日本全体で国立大学全体をどのように位置付けていくか、それぞれの大学に特色のある機能を持たせるようなグランドデザインについて、10年単位くらいの長期的視点から、国民全体で議論していく必要があるのではないでしょうか。
自分がブレイクスルーを目指すという志を
― 今後の日本の医学・生命科学研究はどのような方向で進んだらいいとお考えですか。
今、日本の抱える大きな課題は超高齢化です。2040年には日本の全人口の約3分の1が65歳以上になると言われています。専門領域が何であれ、医学・生命科学系の研究者はこのような事態にどう対応していくのか、分野をまたいで十分に議論しないといけないでしょう。
現在、老化は世界でも大きな研究領域になっていて、最近では加齢に伴ってなぜ多様な疾患が増えてくるのかがテーマになっています。これは当たり前のように思えるかもしれませんが、実はその仕組みはまだよくわかっていません。医学、生物学的なアプローチだけでなく、予防医学、先制医療など様々な角度から、新たな国民的課題として社会的に対処していく必要があるでしょう。
― これからの研究者が先端的な研究に参画していくにはどうしたらいいでしょうか。
時代が変わっていく中で、一概に言いにくい部分もありますが、研究者のキャリアパスが不明瞭、不安定なために、若い人が研究者としてのキャリアを選びにくくなっているのではないでしょうか。まず、博士研究員(ポスドク)を安定して雇用するための研究費制度やその財源が十分ではないと思います。また、日本は博士の学位取得者が活躍する環境などがあまり整備されていません。そのようなことも含め、社会のグランドデザインを社会全体で話し合う必要があります。
― 若い学生や研究者にメッセージをお願いします。
医学・生命科学分野の研究は多岐にわたり、何を研究すればどこに辿り着くのかが見通しづらいことが多くなっています。このような状況の中では、いろいろな世界に顔を出し、多くの研究者と交流することが重要になってくるでしょう。短期的に見ると時間をロスして、効率的ではないと思われるかもしれませんが、たくさんの経験が後の研究につながったり、自分の研究の幅を広くしたりします。現代は混乱の中にあるからこそ、いろいろなところに行って自分の目指すものを探してください。新しい観点を見つけたり、その幅が広がることを楽しみながら研究していくことで、新たな発見やモチベーションへとつながるはずだと思います。
湊 長博(みなと ながひろ)
1951年生まれ。富山県出身。
医学博士。1975年京都大学医学部卒業。
1977年~ 1980年米国アルバートアインシュタイン医科大学微生物免疫学教室客員研究員。その後、自治医科大学内科助教授、京都大学大学院医学研究科教授、京都大学大学院医学研究科附属ゲノム医学センター長などを経て、2010年より京都大学大学院医学研究科長・医学部長。2014年京都大学理事・副学長。2017年より京都大学プロボスト兼務。2020年より京都大学総長。