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『報告』T―1において,「新学習指導要領における外国語科,英語科の取り扱い」についてのこれまでの改善努力が述べられているが,日本人の英語力を論じる場合,日本語と異なる構造をもつ外国語(英語)を習得するには,学校教育における授業時間の点では未だ圧倒的に少なく,さらに学校教育を終えた人々に英語学習を継続してもらうための環境整備の点でも未だ不十分な実態にあることを,議論の出発点として共通に認識しておく必要があると考える。
『報告』T−2―(1)の冒頭に,「日本人は英語が不得意で英語力がないと言われているが,どの層を指して言われているのかを整理し,それぞれに対応策を考えていく必要がある」と述べられているが,重要な指摘であり,今後さらに実証的な研究を蓄積し,それらに基づいた具体的な対策が提案されていくことを期待する。
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『報告』のT―2―(1)において,「英語教育について,身に付けるべき英語力に応じた,小・中・高・大学を通じた一貫性のある英語教育の在り方を早急に確立し,提示することが必要」とあるが,小学校から大学までの一貫した英語教育の理念と目標を,さらに各教育段階に即して,具体的に提案されていくことを期待する。
そのことによって,各教育段階の指導者は,全体的な見通しを持ちながら,各教育段階での理念と目標に即した指導内容・方法・評価を考えていくことができ,教育機関相互に連携しながらの効果的な指導が実施されると考えるからである。
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3. |
『報告』のT―2―(2)に「発信する力の育成は極めて大切」とあるが,そのためには語彙力と文法力の増強を図る工夫と,より根本的には日本語においても弱くなってきていると言われる表現能力や対話能力の育成を図る教育が全体として必要であると考える。
『報告』にある「完璧主義から脱却すべきである」との指摘には賛成であるが,言語構造の全く異なる日本人にとっては,語彙力と文法力をなおざりにしての英語教育は成り立たないと考える。また,『報告』T―2―(3)には「我が国では,成人も含め学生や生徒の多くが,発表することに消極的である」との現状が指摘されているが,「発信する力の育成」のためには,なによりもまず「相手と積極的にコミュニケートすることが重要であるといった意識,英語を使って意志疎通を図ろうとする意欲を生み出すような指導」(T―2―(4))が小学校から大学までの教育活動全体に求められており,これらの一層の改善を抜きにして英語教育の成功はありえないと考える。
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『報告』Uの動機付け(モティベーション)に関しては,方策だけが先行しても,時間的・財政的コストだけがかかり,学習者の内発的なモティベーションが高まらないことを十分に留意しなければならない。そのことを踏まえた上で,『報告』で提示されている諸方策がさらに具体化されていくことを期待しているが,次のような諸方策もまた検討の素材として提案しておきたい。
その第一は,言語や文化に戸惑いながらも何とか対処できるだけの精神的たくましさが付いてくる年齢段階の子ども(例えば,中学3年,高校1年ぐらい)を対象に短期のホームステイプログラムを実施することである。
第二は,英語が必要な生活環境を部分的にでも作ることの一環として,英語による日本紹介のテレビ番組作成等を行い,小・中・高・大学生,そして一般社会人の英語学習を支えるとともに,英語を通して日本を世界に発信していくことである。
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5. |
『報告』Vの「英語指導方法等の改善」については,なによりも指導者の資質・能力の向上が重要であると考える。
『報告』V―2における「英語担当教員は,十分なコミュニケーション能力を身につけ,生徒や授業のねらいなどに応じて様々な指導が行えるような総合的な実践力が必要である」との指摘は重要であると考える。そのためには,今後,現職教員を対象としたさらに大規模な国内及び海外での研修機会の拡大,研修システムの構築が求められていると考える。
また,外国語指導助手(ALT)の量的な確保とともに,教員資格を有する者ないしは英語指導法の訓練を受けた者の採用など質的な確保も不可欠であり,献身的に取り組んでいるALTの任期を弾力的に扱い,各地域での英語教育に長期的に関わってもらうことができるようにすることも必要であると考える。
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6. |
英語教育を進めていく上での環境整備に関しても,次のような幾つかの重要な検討課題があると考える。
その第一は,今後の社会においてコンピュータと英語を使う能力の必要性がますます高まっていくと思われる状況下で,『報告』V―3「情報活用能力と並行した英語力の育成」で言及されている内容は重要であると考える。その点で,学校においてコンピュータを利用でき,インターネット等へアクセスできる環境を整備することは急務である。
第二は,『報告』V―5の「教科書,教材」に関しては,学習指導要領等による規制が小・中・高校における指導を窮屈なものにしている現状の改善である。それぞれの年齢段階や習得レベルに応じて,各指導者がカリキュラム・方法・評価の点で自由な創意工夫を発揮できるような環境づくりが必要であると考える。
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教員の養成・採用・研修に関しては,上の5においても言及しておいた点であるが,なによりも現職教員の国内及び海外での研修機会の一層の拡大が重要であると考える。とりわけ,海外での研修機会の拡大は実践的コミュニケーション能力を育成する観点ばかりではなく,国際的な人権感覚や協調精神などを体験的に学習する観点からも重要である。海外ボランティア活動への参加も含め,さまざまな研修機会の整備やそれに参加するための条件整備などが図られるべきである。
『報告』V―9「教員養成,採用等」では中・高校の英語教員の相互交流について言及されているが,今後小学校での英語学習が拡大されようとしている観点から,小・中学校教員の相互連携・交流も意識的に図られるべきであると考える。
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「小学校における英会話学習」に関しては,次のような点を要望しておきたい。小学校の英会話学習は,多くの場合,「総合的な学習の時間」において行われることとなろうが,その際に「総合的な学習の時間」設置の全体的な趣旨と目標との整合性が問題となろう。
過度に英会話学習に傾斜することは小学校段階における「総合的学習の時間」の健全な実践の展開に支障を生じさせはしないかとの懸念を感じる。
小学校における英会話学習のあり方を研究するにあたって,研究開発校を指定し研究を進めることは必要であるが,その場合,ともすると特別なカリキュラムや指導者の配置など恵まれた条件の下での研究に陥りやすい。普通の公立小学校の条件に即して,より現実的・実践的な研究を志向するものであって欲しい。
英語発音と異文化に対する許容に関しては,指導に当たる教員が必要な再教育を受けた上で指導に当たらねば,小学校に英語教育・英会話学習を導入する意味がなく,逆に今よりも早い時期に英語嫌いを生み出しかねないと考える。これまで英語の導入に当たってきた中学校の教員を小学校に派遣し,年齢差による教育的配慮等は小学校の教員と相談しながら,英語教育に当たる方策も検討されるべきであろう。
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『報告』Xにおいて提起されている「大学入試センター試験にリスニングテストを導入することを早期に実現すること」については基本的に賛意を表するものであるが,具体的な実施にあたっては次のような課題がさらに検討されるべきであると考える。
その第一は,まず中学段階及び高校段階においてどのようなコミュニケーション能力が育成されるべきであるかといった具体的目標が合意されねばならないことである。
また,入試と連動して入学後の大学における英語教育も改善していかねばならないことである。それらのことなしには,入学試験の内容・方法・評価の在り方を改善しても効果は期待できないばかりか,逆に混乱を招きかねないからである。
第二は,実施にあたっての放送設備面や試験体制面の整備が必要とされることである。リスニングテストをより効果的に,かつ公平に実施するための放送設備の整備・充実は予算の裏付けも必要であるし,スピーキングテストの導入には,多数の受験生の能力を適切に評価するために試験日程や試験方法やそれに携わるスタッフなど試験体制の抜本的な検討が必要とされよう。
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最後に,『報告』Zの「大学における英語教育」に関連して,次のような期待を表明して,本意見書を終わることにしたい。
日本における英語教育改善のためには,大学教員の英語力,特にコミュニケーション能力の向上が不可欠であると考える。この点に関しては,もっぱら個々の教員の献身的な個人的努力にゆだねられているのが現状であるが,今後はさらにそれを組織的に支援していくような制度(例えば,海外での語学研修機会,海外の語学教員との期間を限定した交換制度など)の整備・拡充・新設などに向けての検討が必要であろう。
また,小・中・高校における英語教育の質的向上をさらに推進していくためには,とりわけ教員養成系大学・学部の英語教育とそれにあたる教員の資質・能力の向上に向けた支援策を具体化していくための検討が必要であろう。
さらに,小学校から大学までの学校教育全体に共通する点であるが,語学教育を進めていく上でさらなる少人数指導体制の確立が図られるべきであり,このことは,小・中・高・大学における教員数の増加やクラスサイズの改善も視野に入れて検討されることが必要であろう。
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