(1) |
極めて短期間に,このような詳細精徴な「実施要項」及び「手引書」を作成されたことに,心より敬意を表したい。また,これがあくまでも適切な評価システムの構築への第一歩に過ぎないという姿勢を明示していることを評価したい。
|
(2) |
しかし同時に,それが@「試行」としてはあまりに「詳細精徴」にすぎるのではないか,A強制的・統制的な性格が強すぎるのでないか,という疑念を免れることができない。それは,この「第三者評価」が,それぞれの大学・学部・研究所に,事前に「自己評価」を,しかも「実施要項」に示されたフォーマットに従って実施する事を求めていることと深くかかわっている。
|
(3) |
「第三者評価」が「自己評価」を前提とすることなしに成り立ちえないことは,あらためていうまでもない。そしてその「自己評価」は1991年の設置基準改正以来,「自己点検評価」の形で,事実上すべての国立大学で実施されている。
|
(4) |
しかし,その「自己点検評価」(以下「自己点検」と略す)と今回の「実施要項」に求められた「自己評価」との間に大きな性格の違いと落差がある。すなわち「自己点検」はあくまでも各大学が独自に実施するものであり,フォーマットや評価の方法も各大学の自由となっている。ところが「自己評価」は,評価機構が自ら行う評価事業の一部として,各大学に一定のフォーマットによる実施を「要求」するものである。
|
(5) |
しかも「実施要項」を読むとその「詳細精徴」な内容は,これまでの大学独自の「自己点検」の現状や水準をはるかにこえている。各大学はそうした現状とかかわりなく,この「実施要項」のフォーマットに従って資料を集め,評価を実施し,文書を作成しなければならない。強い「強制感・統制感」をおそれるのは,このためである。
|
(6) |
こうした現状で「詳細精徴」なマニュアルにしたがって「自己評価」が行われるなら,各大学の主体的な「自己点検」の努力の積み重ねはたちまち失われ,「外部」「上から」?)の指示に従った形式的な画一的,迎合的な「自己評価」へと堕落してしまう危険性が極めて大きい。
|
(7) |
「自己点検」の現状が,その出発から10年近くを経たいまも,期待された水準にないことは確かだが,そのレベルアップを「自己評価」の強制によってはかるべきかどうか,初めから高水準をめざすのではなく,段階的に,また自主的な努力を喚起するよう配慮が望まれる。
|
(8) |
この問題は「実施要項」の項目設定・例示ともかかわっている。各大学の実態の把握や認識が不十分な段階で,基本的な例示を,しかも網羅的に行えば,日本の現状では,その例示にそった活動を行う必要があるのだと受けとめる大学が多数をしめることが予想される。ましてやそれが予算配分の「参考」にされるというのであれば,すべての項目・例示に落ちなく対応しようとするだろう。
|
(9) |
その結果,個性化,多様性の期待に反して画一性をもたらす危険性が極めて強い。評価の基準となる「目的・目標」自体,国立大学がどこまで独自にそれを設定しうるのか,大学としての自主性・自律性が法的に制約されている現状では,極めて疑わしい。ここでも「詳細精徴」を初めからめざすより,まずは国立大学の現状,その多様性の把握をはかる「ゆとり」が必要だろう。
|
(10) |
その意味では教養教育についての「実施要項」が「実状調査」からはじめられようとしている点を評価したい。「とらえ方の内容が幅広く,多様である」のは,「教養教育」に留まらず「教育サービス」についても「教育」「研究」についても同様である。「進化」の余地を十分に残した評価システムこそが,今の段階では望まれるのだということを,あらためて強調しておきたい。
|
(11) |
「実施要項」も「手引書」も,「評価の目的」として大学の「教育研究水準の向上に資するため,設置者の要請に基づいて,教育研究活動等の状況について評価を行い」,その「評価結果を各大学にフィードバックすることにより,各大学の教育研究活動等の改善に役立てる」ことを明記している。その重要性はどれほど強調してもしすぎることはない。
|
(12) |
国立大学の場合,「設置者」は国家ないし政府であり,したがってすべての国立大学」が評価の対象になる。つまり自らの「要請」で評価のいかんを選択することは,それぞれの大学にはできないのである。ここにも評価がまさに「外部」化し,内的な必要性や実体的な改善努力との結びつきが難しくなる危険性がひそんでいる。
|
(13) |
したがって,「評価結果」については,なによりもそれを各大学にフィードバックし,改善努力に資することに第一の目的があることを,とくに評価者に対して「手引書」のなかで,また予定された「研修」の過程でくり返し強調する必要がある。他者による評価の伝統が極めて乏しいわが国の大学に,世界的にみてもおそらくはもっとも「詳細精徴」な「外部評価」のシステムを構築することの困難とそれがはらむ危険性について,評価者が十分な認識をもって評価にあたるよう努力を期待したい。
|
(14) |
「第三者評価」を「評価機構」が開始するにあたって,評価の技術や方法以上に重要なのは,評価の「哲学」であり,「倫理」であることをあらためて強調しておきたい。
|
(1) |
「大学等の設定した教育サービスに関する目的・目標」(P7.L12)については,生涯学習センター等が設置されている場合には明確に決められていない場合も多いと思われる。そのような場合には,各学部等の設置した教育サービスに関する目的及び目標の内容を評価対象とすべきである。このような理由から「全学的(全機関的)な方針の下に行っている活動」(P7.L24)は削除すべきである。
|
(2) |
要項の記述の具体的なイメージがわからないものがあるので,具体例を示すべきである。例えば,「目的は教育サービスを提供する上での基本的な方針,提供する内容及び方法の基本的な性格,活動を通じて達成しようとしている基本的な成果などについて示されている必要がある。」(P9.下からL6)のそれぞれについての例を示して欲しい。
|
(3) |
「自己評価は,各項目において評価の観点を適切に設置し」とあるが,具体的にどのように観点を設定するのか(P10.L8),例示が望まれる。
|
(4) |
「(2)評価項目ごとの自己評価の内容」とはどれを指すのか?(P10.L8)
|
(5) |
自己評価は原則として過去5年間の状況の分析を通じて行うことになっているが(P10.L9),目的・目標が5年前に明確になっているとは限らない。各学部毎に,漠然としたものが多いと思われる。そのような場合,評価は不十分となる。この問題に対する見解を記述すべきである。
|
(6) |
目的及び目標の達成状況の中で,例えば「サービス享受者側からの達成度」(P11.L1)の資料が存在しない場合もあり得る。そのような場合,どう評価するのか? このような欠測値が稀ならず存在するものと思われるがどのような対応を行うのか?
|
(7) |
実施時期については,通知から自己評価書・根拠資料等の提出期限までは4ヶ月しかなく,しかもこの時期は,入試・卒業・入学・卒論・就職・転勤などと教職員の作業が多い時期であることなどから,期限を8月中とするべきである。また,ヒヤリング開始から評価結果の公表までの期間も短すぎるように思われる。
|
(8) |
サービス提供者やサービス享受者という表現を大学教育において使用すること(P11.L1)には違和感がある。学生が消費者として教育サービスを享受するといったイメージは,教育の本質から見て望ましくないと思われる。
|