<< 国立大学の入試改革
-大学入試の大衆化を超えて- >>
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第2部 提言の解説
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1. 多様化する高校教育への対応
わが国では偏差値受験の体制はなかなか変わろうとせず、1980年代半ばまでその体制が堅持されたが、大学進学率の高さからすれば、この時期、学力選抜がすでに選抜目的との妥当性からみてその限界に近づいていたことは容易に察しられる。この状況がガラリと変わっていくのは臨時教育審議会の「多様化」の答申が出た頃からである。 入試の多様化は評価測定の技術的側面からみて必然の要請であったと考えられるが、現実の入試は必ずしも合理的な方向、即ち評価の多元化や妥当性の向上には向かわず、むしろ受験生に受けのよい入試の軽減化の方向へ進んだ。関係者にとって志願者集めの好機とみなされたからであろう。その結果、1980年代後半から公立進学校の教育課程が変わり始める。 高校での科目履修の減少傾向はこの頃からはじまり、「ゆとり教育」で確保された選択科目の自由度はそのまま進学校の受験シフトに転化されることになる。 現行の教育課程になって2単位選択科目が導入されると、履修科目の数が増えただけでなく、センター試験の出題科目はもとより選択の幅も広がった。それにともなって、進学校の類型・コースのカリキュラムも差異が大きくなり、一度選択すると、後での進路変更はほとんど不可能になった。 参考までに、最近の学生の履修状況をあげてみよう(荒井編『学生は高校で何を学んでくるか』,2000)。最近、国公立大学の理系に進学した学生たちの場合、化学はほぼ全員が履修しているという結果が得られている。しかし物理になると、2割強は履修しておらず、生物については4割強が履修していない。同じく国公立大学の理系の場合で、センター試験の物理を受験しているものは6割、個別学力検査で物理を受験しているものは4割である。この割合は前者が物理・Bの履修者、後者が物理・の履修者の割合に近いと推測されるが、そうであるとすれば、理系でも過半数が物理の上級科目を履修していないことになる。 科目履修の組み合わせは、・A、・B、・のレベルを問わず、物理・化学の2科目履修組が4割、物理・化学・生物の3科目ないしは地学を含めて4科目の履修組が3割強である。つまり、残りは1科目以下となる。学習の幅が狭くなっただけでなく、深さ(レベルの高さ)も足りないといわざるをえない。 他方、特別選抜の入学者に眼を向ければ、推薦入学者は1980年代中ごろから急速に増えはじめ、現在では大学入学者の3割(16万9千人;1999年) を占めるようになった。現役入学者に限っていえば4割近くを占める。推薦入学とは「入学定員の一部について出身学校長の推薦に基づき、学力検査を免除し調査書を主な資料として判定するもの」(文部省実施要項)であって、元来、入学者の3割も4割もというメジャーな入試になるような性格のものではない。学力偏重に反発する社会的風潮にあと押しされて普及したものであるが、大学(私立大学も含め)のなかには、推薦入学が学生集めの手段と化したところもないとはいえない。推薦入学は普及したものの、それによる高校教育の是正はみられていない。推薦入学の普及した15年間は受験シフトの細分化が進んだ15年間でもあったからである。 (3) 共通試験は何を測っているか 1979(昭和54)年にはじまった共通1次試験は、まず国立大学の入試改革の一環として構想された。目的としたのは、難問奇問の解消、高校教育の是正、1次と2次試験によるきめ細かな選抜であった。共通1次試験は「高校教育における基礎的、一般的な学習の達成度を測る」ことを目的とし、国立大学の志願者全員が5教科7科目を受験するよう義務づけられた。5教科7科目の内訳は国語,社会、数学、理科、外国語の5教科、そして社会、理科のそれぞれ4科目から2科目選択であった。この教科科目の数と幅が、高校教育の達成度を測るうえで、必要最低限の範囲と判断されたのである。
共通1次試験が開始される直前、学習指導要領の大幅な改訂が答申されたところで、関係者の間では、改訂による選択科目の増加が受験シフトを誘発するのではないかと心配されたことがある。結果的にみれば、共通1次試験の5教科7科目体制はその抑止効果をもしっかりと発揮した。さらに付け加えれば、共通1次試験の5教科7科目の重さは同時に、2次試験の負担を軽くし多様な評価を実現するための条件でもあったのである。 共通1次試験に対する当時の批判は次の2点に集約される。第1は、受験生及び大学の一次元的序列化、輪切りを助長するという批判である。これはしかし、当時にあっては共通試験の宿命でもあった。国公立も私立も大学入試はすべて学力選抜という同じ構造に乗っていたからである。第2は、5教科7科目の試験科目は受験生にとって負担過重だという批判である。共通1次試験の導入と同時に、1期校・2期校の別が解消したことにより、国立大学への受験機会が原則1回に減少した。このため唯1回の試験機会のために5教科7科目の試験準備をすることは受験生にとって負担過重であり、私大専願者に比べて甚だ不利だという不満が鬱積したのである。2番目の問題については、共通1次試験が継続している途中で、手直しが行われた。5教科7科目のガイドラインを外し、5教科5科目あるいはそれ以下でも可とする修正が1987年度から実施された。 また受験機会については、大学を2群に分けて個別試験を実施するいわゆる連続日程方式が同じ年度から導入されている。その後、試験科目のほうは大学入試センター試験に代わって(1990年)ア・ラ・カルト方式となり、受験機会の複数化については連続日程方式が廃止されて、各大学の募集定員を前期と後期に分ける分離分割方式へ統一(1997年)されることとなる。 共通1次試験による序列化・輪切り批判への対応は結局、大学入試センター試験に衣替えする過程で、制度的な改変として行われた。センター試験をアラカルト方式にすることにより、5教科一斉試験ではなく、大学の利用によって1教科1科目の受験をも許容することにしたのである。これにより単純な序列化・輪切りはできにくくなり、さらにセンター試験を選抜試験ではなく到達度試験と位置付けたことにより、単位数、難易度の異なる科目をも同一科目の試験として入れ込むことが可能となった。その結果、現行の出題科目には、国語・、国語・・・、あるいは地歴、理科などのA、B科目が同列で選択可能となっている。これにより、センター試験による序列化・輪切りは一層困難になったのである。 センター試験の抱える基本的な矛盾は高校教育における学習の到達度試験として制度的な理念を打ち出しながら、実態としては選抜試験として利用されているところにある。選抜試験の求める公平性からいえば、これは許されない。さらに疑問点をあげれば、高校教育における「基礎的な学習の達成度を測る」といいながら、高校教育の基礎がどのような科目で測れるのかを一向に明らかにしていないことである。高校教育における基礎的な学習の達成度を測る枠組みは各大学・学部の教科科目指定、その判断に委ねられている。 高校教育と大学教育との接続とはそれぞれの教育段階の目標がいかなる関係にあるか、それが問われているのであり、高校科目と大学科目の連続性が問われているわけではない。 現在のセンター試験制度は発足から上記の矛盾を抱えている。 (4) 学力低下問題と大学入試 学生の学力低下、学力不足問題は、一般に大学科目の基礎にあたるような高校科目の未履修、理解不十分に起因すると考えられている。だが、上に述べたように、補習教育等の分析を通して明らかになってきたのは、個別の高校科目の補習は必ずしも大学教育の補習にはならないという事実である。大学教育は基礎科目であれ専門科目であれ、特定の科目だけに基礎をおいているのではなく、高校教育が目標としている全体的な「学力」を基礎として接続している。その意味で共通試験が測るべき高校教育の達成度はまさに高校教育が目標とする「学力」そのものでなければならない。 また、教育課程の多様化、「ゆとり」教育の実施が学生の学力低下の一因になっているとする声も高い。これを否定するものではないが、高校教育に最も直接に影響するのはやはり、今なお大学入試の動向である。高校教育の体制がどうなるかは大学入試の学力評価の体制に依拠するところが大きい。ゆとり教育の理念は尊重するべきだが、試験科目が削減されれば高校生はその分だけ狭い学習に閉じこもり、細分化された受験シフトに埋没する。大学の収容力が過剰だといわれる今日、かつてのように大学が入試の主導権を握ることはきわめて困難になった。だが、国立大学が本提言において、あえてその事態に挑み、改善を図りたいとするのは、学生たちの知識の低下を恐れるのではなく、考える力、知力の低下があってはならないと考えるからである。 |
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