福井大学のDMAT(災害派遣医療チーム)の活動について【福井大学】
平成23年 3月11日14時46分頃に発生した東日本大震災に関して、各都道府県の災害対策本部からのDMATの派遣要請を受けて、本学では同日の15時頃から福井大学医学部附属病院救急部にて派遣のための準備を行い、福井県地域医療対策Gからの派遣連絡を待ちました。
同日の22時40分の地域医療対策Gからの派遣指示により、仙台医療センターへ救急車と公用車を利用し、医師2名、看護師2名、事務1名で向いました。
3月12日の 9時 8分に到着報告をした時点で、すでに先着DMATによる活動可能域での医療支援が始まっており、正午に全体情報交換会議が実施され、ライフラインや院内の受入れ可能数等について説明がありました。
同日の19時58分に全体通達があり、福島原子力発電所の1号機に関する事故のため不要な建物外への行動を控えるように指示がありました。この時点でのチーム数は84チームでした。
3月13日の午前 3時50分頃に部門ミーティングにより、3分割された担当時間内の後半2区間でERの黄色タグと域内搬送業務を担当することになり、6時からER支援に従事し、担当時間に対応した患者は4名でした。
同日8時からは、広域搬送対応者1名の域内搬送のため待機していましたが、担当時間内に搬送指示が出ず活動待機のまま引き継ぐことになりました。
同日の13時には、DMATとしての活動が困難であることと、看護師の疲労等を考慮し医師を除く3名について撤退することを病院長と病院部長へ報告・判断をした上で、福島県の災害対策Gへ報告し救急車1台で帰路につきました。
災害派遣医療チームの訓練を受けており、携行品等についての知識があったにも関わらず実際の被災地に対する想定が甘く、活動期間内の衣食住に関する対応が甘くなってしまいました。また、あまりにも広い範囲であったこともあり携帯電話等の一般の通信機器が使用困難であったことも、対応が遅れる要因となりました。これから多くの方に災害派遣医療チームの訓練を受けていただくとともに、多数の原発を抱える福井県であることから「緊急被爆医療に強い災害拠点病院」を目的に大学全体として対応を検討していく必要があると考えています。
写真:左 DMAT打合せ風景
右 仙台医療センターの救急医療現場風景
同日の22時40分の地域医療対策Gからの派遣指示により、仙台医療センターへ救急車と公用車を利用し、医師2名、看護師2名、事務1名で向いました。
3月12日の 9時 8分に到着報告をした時点で、すでに先着DMATによる活動可能域での医療支援が始まっており、正午に全体情報交換会議が実施され、ライフラインや院内の受入れ可能数等について説明がありました。
同日の19時58分に全体通達があり、福島原子力発電所の1号機に関する事故のため不要な建物外への行動を控えるように指示がありました。この時点でのチーム数は84チームでした。
3月13日の午前 3時50分頃に部門ミーティングにより、3分割された担当時間内の後半2区間でERの黄色タグと域内搬送業務を担当することになり、6時からER支援に従事し、担当時間に対応した患者は4名でした。
同日8時からは、広域搬送対応者1名の域内搬送のため待機していましたが、担当時間内に搬送指示が出ず活動待機のまま引き継ぐことになりました。
同日の13時には、DMATとしての活動が困難であることと、看護師の疲労等を考慮し医師を除く3名について撤退することを病院長と病院部長へ報告・判断をした上で、福島県の災害対策Gへ報告し救急車1台で帰路につきました。
災害派遣医療チームの訓練を受けており、携行品等についての知識があったにも関わらず実際の被災地に対する想定が甘く、活動期間内の衣食住に関する対応が甘くなってしまいました。また、あまりにも広い範囲であったこともあり携帯電話等の一般の通信機器が使用困難であったことも、対応が遅れる要因となりました。これから多くの方に災害派遣医療チームの訓練を受けていただくとともに、多数の原発を抱える福井県であることから「緊急被爆医療に強い災害拠点病院」を目的に大学全体として対応を検討していく必要があると考えています。
写真:左 DMAT打合せ風景
右 仙台医療センターの救急医療現場風景