71号 LEADER’S MESSAGE 特集【魅力あふれる大学キャンパスとは】
大学キャンパスを豊かで魅力的にするには
東京藝術大学学長
日比野 克彦
キャンパスは大学の活動を支える基盤となるものです。
物質的にはキャンパスとは敷地や建物を指しますが、キャンパスという言葉にはそれ以上の意味も込められています。
アーティストとして長年、現代社会と対峙してきた東京藝術大学の日比野克彦学長にキャンパスについてお話を伺いました。
キャンパスの主役は人
キャンパスは学生が学ぶ勉学の場でもあり、研究者が専門分野の研究を進める研究の場でもあります。それと同時に、たくさんの人たちが集まり、生活する場でもあります。特に、自身の未来を見つめ好奇心あふれる若者にとって、人との出会いはとても大切です。人は一人では自分らしさは確立できません。私も、学生時代に先輩や同級生たちと交流することで、自分についてよく知ることができました。人は人と出会うことで初めて自分らしさが見えてくるのです。建物があるところに人が集まるというより、人が集まるところがキャンパスであるという感覚があります。
東京藝術大学は上野、北千住、取手、横浜の4か所にキャンパスがありますが、上野キャンパスは上野公園の一角にあり、学生たちは博物館、動物園、美術館などのある文化ゾーンの中の雰囲気も感じながら生活します。キャンパスの敷地だけでなく、そのような周辺の環境もキャンパスの一部と言えます。
― キャンパスの中で建物はどのような役割を果たすのでしょうか。
人と話をするのでも、屋外で立って話すのと、部屋の中でイスに座って話すのでは、体のリラックスの度合いなども変わります。アーティストにとってキャンパスは自分の表現を追求するためのアトリエでもあり、建物や風景も含めて居心地のいい空間はとても大切です。音楽で言うと、防音の練習室で聞く音とホールで聞く音は全く異なるため、空間や場所が持つ場の力、人々の共有する時空間という空間への意識はより直接的であり、その感覚は強いと思います。
しかし、いい建物をつくれば、いい作品ができるわけではありません。科学分野では、専門的な機具やスーパーコンピュータなど、新しい発見をするために巨大な装置や施設が必要になるときがあります。しかし、芸術の場合は、自分の中に無限の空間があります。建物やキャンパスは、その無限の空間を引っ張り出し、表現に繋がるきっかけや、人との交流の場となるものなのです。主役はあくまでも人間です。
一方で、東京藝術大学でも、新しい建物をつくってはいます。たとえば、2022年12月には上野キャンパスに国際交流棟が完成しました。
国際交流棟には、学生生協、食堂、多目的フリースペースなどがあり、人が集まる空間を集約し、学生らが交流できる場があります。さらに、この国際交流棟の建物の外壁の表面にはたくさんのパブリックアートを施しました。
パブリックアートは、道路、公園、商業施設など、公共空間に設置されることが多いので、安全性や耐久性の条件が厳しく、素材や取り付け方などがかなり制限されます。しかし、国際交流棟は公共空間といっても大学内にあるので、これまであまり使われていなかった素材を実験的に使用するなど、既成概念に囚われずにチャレンジしていく場にしています。実際、国際交流棟のパブリックアートでは、和紙を使用した作品がつくられています。石やブロンズといった経年劣化しにくい素材を使用することが一般的ですが、それではどこか同じようなものが出来上がってしまいます。このパブリックアートは、5つの研究室が作品をつくって展示していっているのですが、「世の中にないものをつくる」という目的が一致していたこともあり、実際に同一の壁面に展示してみるとその互いの異なる素材が相互作用を起こし、東京藝術大学を象徴する個性がぶつかり合った空間にふさわしい風景になっていると思います。このような建物がシンボリックにあることでキャンパス内の空気が変わりますね。
創造空間としてのキャンパス
― 学問の分野によってキャンパスに違いが出るでしょうか。
やはりキャンパスにはそれぞれの分野の特徴が出ると思います。先ほども触れましたが、東京藝術大学の場合、美術学部のキャンパスは作家たちのアトリエという要素があります。キャンパスを歩くと、作品に使用する大きな石がごろごろし、石を叩く音が響くこともあります。また、金属を扱う学科では金属を溶かして鋳型に流し込む鋳金など、都会のど真ん中で何百年も続く伝統的な作業をする人もいます。そうかと思うと、絵画・彫刻の分野では博物館や寺社仏閣から依頼された修復作業を、息を殺しながらやっていたりします。音楽学部では、クラシック、邦楽などの様々な楽器のレッスンやオペラ、声楽、能、狂言などの舞台の練習などをやっていて、キャンパスは稽古場であり、発表の場となっています。
また、東京藝術大学が他の大学と異なるのは学生と教員の関係です。科学は知識を縦に蓄積していく側面がありますが、美術は必ずしもそうではなく、先人の知識は横に並んでいます。そのため、キャンパスにも60代の教員も10代の学生も1アーティストであるという独特の感覚があります。
このように、キャンパスは、表現者たちのたくさんのエネルギーが渦巻いている空間になっています。建物や部屋の中に入ると、その分野の独特の雰囲気があると思います。
学生にとってのキャンパスとは
学生が授業に真面目に取り組んでいる姿はとても素晴らしいことですが、学生時代には授業以外でも分野の違う人たちとたくさん出会ってほしいという願いもあります。私が学生のときは部活動に力を入れていて、そこでの出会いもたくさんありました。しかし、今はコロナ禍の影響もあり、サークルや部活動などができずにキャンパスライフの伝統が継承されなかったり廃部になったりする部活動もあります。
そうすると、勉強以外の学生生活の余白という「のりしろ」のような部分がものすごく減ってしまいます。サークルや部活動を以前のように復活させるにはもう少し時間がかかります。以前のようなキャンパスライフを復活させるのがいいのか、それとも今の時代に合わせた新しいキャンパスライフを構築するのがいいのかは課題ですが、そこを開発していくのが魅力ある豊かなキャンパスライフを取り戻すポイントになってくると思います。学生たちには、なるべく多くの人たちと出会う場に積極的に飛び込んでいってほしいです。大学キャンパスはそのような出会いの場を提供する場所であり続けます。
地域のコミュニティの核としてのキャンパス
大学の後にも教育は続きます。生涯教育という言葉もありますが、大学教育は、小学校、中学校、高校での教育が前提にあります。大学教育に期待されているのは専門性を高めるものや研究者になるための教育だと思いますが、その前段階となる小中高とももっと連携した教育が大切かなと感じています。
地域には継承されてきた祭りや行事があり、小学校や中学校にも地域の人たちが出入りできるような環境がありましたが、事件や事故が過去に発生したことで、学校の管理責任が問われるようになり、最近は学校と地域に溝ができてしまいました。今の子どもたちは、特に地域の人たちとの交流が極端に減っているのではないかと思います。昔は何をせずとも自然に培われてきたものも、現代社会では意識的に教えていかないと身につかない状況になっています。義務教育、高等教育、社会に出た後のリスキリングなどを個々に考えるのではなく、生涯教育の広い視点の中で有機的に繋がるように捉え、考えていくことが必要でしょう。
そのような事業をする際、大学のキャンパスが地域の拠点として機能できるのではないかと考えています。大学の一番いいところは、長期間にわたる事業に継続的に取り組める点です。企業は利益を出すことを目的にしているので、せっかく始めた事業も、業績が悪化すると継続できなくなるリスクがあります。それに対して大学は、社会的に意義のあることを長期間継続することができます。大学の役割の一つは、学生や卒業生が集うコミュニティを地域に提供することだと思います。地域の人たちと協力する体制をつくることができれば、大学のキャンパスに魅力が出てくると思います。
今日本で地域格差が解消されないのは、地域の魅力を発信する核がなく、その役割をベンチャー企業など経済が担っていることも要因の一つです。継続性のある大学こそが地方ならではの魅力をつくっていかなければならないと思います。
ここで一つ気をつけないといけないのは、それぞれの土地には必ず歴史があるということです。その土地の歴史を理解しないまま、キャンパスの目指す姿を決めてしまうと、結局、場所はどこでもいいことになってしまいます。
その土地の歴史的な価値、地形、風土、文化などを取り入れ、研究を深めていかないと、そのキャンパスにいる意味がないと思います。東京藝術大学の上野キャンパスは、歴史を遡ると徳川家の菩提寺である寛永寺の敷地でした。
明治維新以前は上野公園一帯がすべて寛永寺の敷地だったのです。来年は寛永寺が創建400年を迎えるということで、東京藝術大学と寛永寺が連携し、地域活性化に繋げるプロジェクトも立ち上がっています。その一環として、寛永寺の中に東京藝術大学の先生の作品を展示したり、寛永寺幼稚園内で大学の授業を行ったりするなどの活動を計画しています。
その他にも、取手キャンパスでは、地域の人たちと連携してキャンパスの中で畑をつくり、野菜を栽培したり、ヤギを飼ったりしています。畑で収穫した作物は、学食の料理に使われ、学生たちに提供しています。このような活動を通して、都市部のキャンパスでは学べないことを学べるように工夫しています。
アーティストの力でキャンパスを元気に
― 国立大学が今後キャンパスの魅力を発信していくためにはどのようにしたらよいでしょうか。
一つのアイデアですが、それぞれの大学にアーティストを滞在させてみてはどうでしょうか。アーティストはその場にある力を引き出し、より魅力的に見せるのが得意です。瀬戸内国際芸術祭や新潟県で実施されている大地の芸術祭など、過疎の地域にアートが入ることによって、その魅力がたくさんの人たちに知られるようになりました。また、ニューヨークのソーホーやベルリンの倉庫街なども、アーティストが住みつくことで、魅力的なエリアとなっていきました。
多くの人が「つまらない」と思うものも、アーティストは独自の視点や価値観から、面白さを見つけることができます。古く、魅力がないとよく言われる建物こそ、アーティストが関わる絶好のロケーションです。
最近STEM教育(Science、Technology、Engineering、Mathematics )やSTEAM教育(Science、Technology、Engineering、Arts、Mathematics)の重要性が叫ばれていますが、「STEMからSTEAMへ」と聞いたとき、違和感を覚えました。芸術(Art)は他の分野に足りないものを補完するのではなく、芸術こそがすべての学問の基盤になっていると思うからです。一人ひとりの基盤にアートシンキングを取り入れ、全員がアーティストになることが大事ではないでしょうか。
大学のキャンパスを魅力的にするために、流行を追いかけたり、新しい建物を建てたりするという発想ではなく、その大学ならではの得意分野や特徴を形にしていくことが大切だと思います。たとえば、香川大学の瀬戸内海に面している研究センターと東京藝術大学が協同してアートとサイエンスの共創拠点にしていく計画があります。熊本大学ではキャンパス内に歴史的建造物があることを活かし、キャンパスミュージアムとしてアピールしています。どの大学にも必ずそのような魅力はあるはずです。構成員は見慣れてしまい魅力に気づきづらいかもしれませんが、アーティストの目が外から入ることで、それぞれの大学の魅力を発信していけると思います。すべての国立大学がアーティストを招いて、それぞれの大学の特性を活かしたアートを制作すれば、キャンパスの魅力が増すと思います。その過程で、大学の核となる可能性を探るきっかけにもなるかと思います。
「国立大学」全体が一つのキャンパス
東京藝術大学は、2024年1月26日現在、38の機関と連携し、産学官の共創プロジェクト「共生社会をつくるアートコミュニケーション共創拠点」に取り組んでいます。このプロジェクトには岐阜大学、名古屋大学、京都大学などの国立大学も参加しています。また、香川大学、東京大学、東京医科歯科大学、東京工業大学と連携して提案したプロジェクトが「地域中核・特色ある研究大学強化促進事業
(J-PEAKS)」に採択されました。同じ国立大学のグループだからこそ、様々な大学とも話がしやすく、様々なプロジェクトで協力体制をすぐにつくることができます。
国立大学は国立大学協会という組織があり、同じ傘の下で動いています。アメリカの大学のアイビー・リーグやサッカーのプレミアリーグのように、国立大学にはリーグとしての魅力があります。ここは大きなアピールポイントです。私個人としては、国立大学全体が一つの大きなキャンパスを形成していると考える方が腑に落ちます。
国立大学の大きな役割の一つは、日本を支える人材を輩出することです。日本の人材をどのように豊かにしていこうかと考えたときに、国立大学全体が協力し合うことが必要だと思います。もちろん、それぞれの大学の専門性がありますし、いい意味での競争も大切ですが、86の国立大学が一つのチームとしてまとまることができるのが国立大学の魅力の一つであると感じています。
日比野 克彦(ひびの かつひこ)
1958年生まれ。岐阜県出身。東京藝術大学美術学部デザイン科卒業、同大学大学院修士課程修了。大学在学中より段ボールを使った立体作品などで注目され、1982年に第3回日本グラフィック展大賞、1983年に第30回ADC賞最高賞他受賞多数。デザイン、絵画、舞台美術、映像、パブリックアートなど多岐にわたり活動し、近年は様々な地域で一般参加者とその地域の特性を活かしたアートプロジェクトやワークショップを多く行っている。1995年に東京藝術大学美術学部助教授に就任。その後、准教授、教授を経て同大学美術学部長に就任。2015年より岐阜県美術館長、2021年より熊本市現代美術館長を務める。2022年4月より現職。