72号 LEADER’S MESSAGE 特集【データ人材の育成】

これからの社会に求められる データ人材を育成するには

 

大阪大学総長
西尾 章治郎

 

現在の社会は、知識集約型の産業創出、科学の方法論、教育の改革などのすべてにおいてデータ駆動型となっており、2016年度以来、我が国が国家をあげて推進している、Society 5.0=ビッグデータの時代の重要な基盤となっています。しかし、日本ではデジタル技術を支えるデータ人材が不足しています。データ人材を育成していくためには、何が必要なのでしょうか。

長年、データ工学分野をけん引し、人材育成にも力を入れており、文部科学省や総務省の審議会委員をはじめ多くの委員を歴任し、我が国のデータ人材の育成について主導的役割を果たしてこられた大阪大学の西尾章治郎総長にお話を伺いました。

これからの時代に必要不可欠なデータ人材

 データ、それは、未来予測、現在、過去に関して、自然現象や生きとし生けるものすべての活動等をデジタル化した現実世界の「写し絵」です。現代の「米」とも言うべきデータを処理、分析あるいは解析することにより、新たな発見、知識を得ることができ、データサイエンスはイノベーション創出の源泉ともなります。

― しかし、膨大なデータにより予測された未来が悲観的だった場合、私たちの足かせになるのではないでしょうか。

 データに甘んじるべきではありません。データを活用・分析し、因子を見つけ、どう社会を変えていけばよいのか私たちが考え、問題を解決していかなければなりません。過去のデータをうまく活用することで、希望の持てる明るい社会へと変えていくことができるでしょう。

―今、注目されているデデータ人材とは、どのような人たちを指すのですか。

 デジタル技術が社会に浸透する中で、必要不可欠なデータ人材として挙げられるのがデータエンジニアやデータサイエンティストです。これらの職種はデータの専門家という共通点があるために、混同されることもありますが、両者には明確な違いがあります。
データエンジニアは、大規模なデータを活用するためのインフラやシステムを構築する職種で、データサイエンティストは大量のデータから意味のある情報や法則などを導き出し、活用法の提案や意思決定をサポートします。
 デジタル分野に関連する人材の養成は世界的に重要なことですが、日本は今、危機的な状況にあります。スイス・ローザンヌに拠点を置く国際経営開発研究所(IMD)の世界競争力センターが発表した2023年の「世界デジタル競争力ランキング」では、日本は64か国中32位と、以前よりもかなり順位を落としています。
 このランキングではシンガポールが3位、韓国が6位と他のアジアの国は上位に位置しています。しかも、このランキングを細かく見ていくと、ビッグデータ・アナリティクスの活用という指標では日本は最下位の64位、デジタル/技術的スキルの可用性の指標では63位と、下位に入った指標がいくつもありました。これはとても厳しい状況です。

― なぜ、日本は競争力が低下してしまったのでしょうか。

 大きな要因は、日本のデジタル人材の層の薄さです。国立大学で、学部名や学科名に「情報」を含むものを抽出して、2022年度の入学定員を合計してみると5400名程度でした。しかし、これらの学部・学科は、情報と何らかの関係があるという程度のものも含まれていますので、情報技術の中核を担える人材としては2000名ほどではないでしょうか。
 他のデジタル先進国と比べると、日本はデジタル人材の層がとても薄いのです。例えば、中国屈指の名門校である上海交通大学では、日本のように情報とひとくくりにせずに、通常のコンピュータサイエンス関係の学部とは別に、情報分野の核となる高度なソフトウェア人材を育成するソフトウェア学部やサイバーセキュリティ学部を20年近くも前に設置しており、それぞれ100名を超える規模の定員を設けています。
 また、アメリカでは、情報技術の核となる教育を受けている学生の数は、2006年から2015年までの10年間で4倍になりました。両国とも、早い段階からデジタル人材の重要性に気づき、育成に力を入れてきたのです。
 日本は、そのあたりの理解が十分ではありません。日本の企業では、人文学・社会科学系の学部の卒業生が、短期間の社内教育を受けてプログラマーやシステムエンジニア(SE)として働くこともよくあります。そのようなプログラマーやエンジニアは、従来の定型的な業務や作業はできますが、情報システムの技術的な課題にチャレンジしたり、新しいシステムを構築したりするための優れた知識やスキルを有しているとは、一般的には言えません。
 近年、パソコンやスマートフォンだけでなく、自動車、カメラ、エアコンなど、様々な機器に多様なセンサーが組み込まれることによって、デジタルデータの総量は増え続けています。それらのデータは自然現象や社会活動を写し取ったもので、未来予測や新しい産業の創出などに活用でき、2016年度以降、日本政府が推進している超スマート社会Society 5.0の基盤リソースとなっているものです。データサイエンティストをはじめとするデータ人材が不足すれば、日本は国際社会から取り残されてしまいます。

 

国のデータ人材育成プロジェクトの 中核を担う国立大学

― 日本では、これまでデータ人材をどのように育成してきたのですか。

 日本の場合、人材育成は国のプロジェクトと連動して行われてきました。1996年から5年ごとに、科学技術政策の指針となる科学技術基本計画が策定されるようになりました。現在は第6期目で科学技術・イノベーション基本計画と名称が変更になりましたが、その方針に沿うように、そのときどきでデータエンジニアやデータサイエンティストの養成事業が実施されています。それらの事業では、大阪大学をはじめ、国立大学が中核機関として大きく関わっています。
 例えば、2012 〜2016年度に実施された「情報技術人材育成のための実践教育ネットワーク形成事業(enPiTⅠ)」と、それに続いた「成長分野を支える情報技術人材の育成拠点の形成(enPiTⅡ)」(2016 〜2020年度)では、運営拠点の全体の事業責任者を大阪大学大学院情報科学研究科の教授が務めました。
 このプログラムには全国延べ182大学が参加し、延べ287の企業や団体が支援し、国からは年間約4億円の予算が充てられました。enPiTⅠは大学院生を対象にして、約2000名が修了しました。enPiTⅡでは対象を学部生に引き下げ、ビッグデータ・AI、セキュリティ、組込みシステム、ビジネスシステムデザインの4つの教育分野を設けました。5年間で延べ4000名以上の学生が参加し、大きな成果をあげました。
 このように、各大学の情報系の学部や大学院を中心に、国のプロジェクトと連動してより高度な人材を育ててきたことが、日本の大学における人材育成の特徴です。
 enPiTは大成功を収めたプログラムで、特に2期目のenPiTⅡではとても大きな広がりがありました。多くの学生が大学の壁を越えて1か所に集まり、人的ネットワークを形成する良い機会にもなったのです。
 ここまで成功したプログラムでも、今の国の予算方針では5年以上続けることができないので、もったいない部分もあります。ただし、これは視点を変えると、日本のデータ人材や情報人材を育てる5年ごとのプログラムが継続的に実施されてきているとも言えます。
大阪大学では、2015年に数理・データ科学教育研究センター(MMDS)を発足させ、学部生と大学院生を対象に、体系的なデータサイエンティスト人材養成プログラムを整備し、運営しています。また、文部科学省が2017年度から推進してきた「数理・データサイエンス・AI教育強化拠点事業」では近畿ブロックの拠点校として、学部におけるリテラシーレベルと、応用基礎レベルの2つの教育プログラムを新たに整備し、提供しています。MMDSで提供しているプログラムはすべて、文部科学省の「数理・データサイエンス・AI教育プログラム認定制度(MDASH)」の認定を受けています。
 博士後期課程の学生や博士号取得者などの高度人材に対しては、2019年度から文部科学省が開始した「データ関連人材事業(D-DRIVE)」において、関西地区コンソーシアムの代表機関として、高度なデータサイエンスなどのスキルを修得させる研修プログラムを実施しています。
 さらに、内閣府が進めている「AI戦略2019」の一端を担うために、社会人を含む受講生を学内の研究室に配属し、学会発表まで指導する「数理・データサイエンス・AIエキスパート人材育成事業」も実施しています。
このように、政府の政策に合わせ、学部生から社会人まで、それぞれの段階に応じてサポートするプログラムを用意し、1人でも多くのデータ人材を育成しようと努力しています。

 

異分野融合の懸け橋となるデータ

― 1つのデータが様々な分野で使われることになると、分野横断や新しい学問の可能性が出てくるのではないでしょうか。

 それはとても重要な視点です。異分野融合や分野ごとの連携といったときにはまさにデータが主役となります。データを異分野の研究者が共有するプラットフォームを構築し、そのプラットフォーム上で侃々諤々の議論を展開していくことにより異分野融合が実践されていくと考えております。社会課題が複雑化の一途を辿る現況においては、イノベーションを起こすためには、人文学・社会科学系と自然科学系が最初から一体となり考えていく必要があります。その際に、複雑な社会的課題を解決してきた歴史を振り返るとき、人文学・社会科学系が主導し、自然科学系を巻き込むような体制であって欲しいと思います。
 今、コンピュータやデジタル技術はめざましく進歩しています。近年、社会は、パンデミック、気候変動、資源の枯渇、高齢化など、たくさんの課題であふれています。それらの課題は、とても複雑で、これまでの科学の手法では解決できないものがほとんどです。その解決の糸口を探るためにも、データ駆動型の研究はますます重要になってくるでしょう。
そのことを端的に示しているのが、産業界の関心の高さです。大阪大学では、企業との産学連携での共同研究を一歩踏み込んだ形で行う「協働研究所制度」を全国に先駆けて整備しました。これは、企業の研究組織を大学キャンパス内に誘致し、多面的な研究活動を実施し、人材育成や新産業創出につなげていこうというものです。
 この他に、キャンパス内に研究組織を設置して共同研究を行う「共同研究講座制度」もあります。2023年度は、協働研究所と共同研究講座の設置件数があわせて120件ほどになり、産学連携活動が活発になっています。
 数値的なデータとして把握しにくいのですが、最近の企業との共同研究ではデータ駆動型のテーマが増えている印象があります。例えば、2017年から包括提携契約を結び、10年間で総額56億円規模の共創活動を展開しているダイキン工業の場合、共同研究として、機械工学分野や触媒などの化学分野のテーマにももちろん取り組んでいます。しかし最近は、空調機や部屋の中にいくつものセンサーを設置して取得した大量のデータを分析して、家庭のリビングルーム、工場内など、それぞれの空間で求められる空調機の性能を向上させる方法などの研究が盛んに行われています。
 大学内に協働研究所や共同研究講座を設置すれば、企業にとっては、研究上でわからないことが出てくれば、キャンパス内にいる専門家にすぐに聞くことができますし、大学側としては、学生がキャンパス内でインターンシップに参加できます。お互いにたくさんのメリットがあります。データ駆動型の研究が重要になればなるほど、専門家にアクセスしやすいこのような仕組みはより重要になってきます。

 

デジタル技術が導く未来に私たちが求められる力

― デジタル技術は社会を大きく変えました。これはどのような意味を持つでしょうか。

 デジタル技術は社会生活を支える基盤となっています。さらに、人工知能(AI)技術が急速に発展し、人が作成してきた文章、画像、音楽、映像などを簡単な依頼文で自動的に作成する生成AIも登場しました。一方で、AIがもたらした軍事技術が凄惨な状況を世界各地に生み出し、AIが作成したフェイク画像が選挙戦の結果を左右する時代を迎えつつあります。
 AI研究の世界的な権威であるレイ・カーツワイル博士はかつて、「2045年にAIが人間の知能を大幅に凌駕する『シンギュラリティ』※1を迎える」と唱えました。現在は、その予測をはるかに超えるスピードで技術が進歩しています。
私は、彼の指摘を「学術研究から結実する技術革新は、人類の幸せに寄与し、社会の中に溶け込んでいくものでなければならない」という強いメッセージだと理解しています。
 デジタル技術の進化が私たちの生活を便利にし、より豊かな社会へと導いてくれるものであることは間違いありません。私たちは、AIを拒絶しすぎることなく、しかし、AIに迎合しすぎることもなく、人間とAIがうまく共存する道筋を早急に見つけ出さなければなりません。
 デジタル人材やデータ人材は技術の研鑽も大事ですが、その技術を使う際の法的知識や倫理観も必要です。デジタル人材やデータ人材が取り扱うものには、個人情報、機密情報、知財情報などが含まれます。それらを適切に扱うためにも、倫理的・法的・社会的課題(Ethical, Legal and Social Issues:ELSI)にもしっかりと対応できる知識を身につけてもらいたいと考えています。
 今は情報分野の知識を持っているが故に悪用してしまうケースが度々、見受けられます。SNSに軽い気持ちで投稿したものが、他人を傷つけてしまうこともあります。デジタル技術が発展し、誰でも手軽に使える時代になったからこそ、大学の入学後の教育では遅すぎるのです。初等中等教育段階からリテラシー教育を行うことが重要と考えています。さらに、高度な技術やデータを扱う人材には、ELSIの知識を持つことが不可欠だと感じています。

 

国立大学のデータ人材育成は今がラストチャンス!

― データ人材の育成について、国立大学がこれから果たすべき役割は何ですか。

 国立大学の情報関連の学部や学科の定員は50年ほど変わっていません。しかし、デジタル技術の拡大によって、2030年には日本のデジタル人材は最大で約79万人不足すると言われています。国立大学としては、そのコアとなる人材を育てていく必要があります。
そのような状況で、2022年度の第2次補正予算で「大学・高専の機能強化に向けた継続的支援策」として3000億円規模の基金が創設され、「大学・⾼専機能強化⽀援事業」が始まりました。その事業の一部として、情報系分野の学部や大学院研究科などの定員増に必要な経費が補助されます。
 既に実施された初回の公募の結果、51件が選定されました。そのうち、国立大学が37件を占め、今回の公募で、国立大学における情報系の学部の定員が1100名ほど増えることになります。
 学部の定員増が非常に難しい国立大学において、今回の支援事業で量的な拡大が実現したわけです。さらにこの学部定員の拡大を母体として、国立大学の大学院では1500名規模の定員増が見込まれます。これは国立大学のデータ人材育成にとって強力な援助となります。この国からの支援に応えるべく、1人でも多くの高度なデータ人材を輩出していくことが、国立大学の果たすべき役割だと考えています。
同時に、情報技術が社会に浸透した現在、高校での情報教育が今後、ますます重要になってくると思います。「大学・⾼専機能強化⽀援事業」による人材育成施策をより効果的かつ強力に推進するために、高等学校段階における情報教育において潜在的なポテンシャルを有する生徒を育てる環境整備のため、2023年度補正予算で100億円規模の「DXハイスクール事業」が開始されました。過去に例のない、全国の高校の5校に1校程度が選定される大規模な事業で、デジタル等成長分野を支える人材育成の抜本的強化に向けた取組です。これは、大学の情報分野での入学定員を増やしても、その母体となる高校でデータベースなどを学んだ人材がいないという問題を解決する手立てとなるでしょう。今後、科目「情報Ⅱ」レベルの教育をする高校が増えることにより、情報教育に関する高校から大学へのシームレスな環境を構築することができます。高度なデータ人材を育成するには、大学入学後の教育では遅すぎるのです。小中高のデータ人材教育に積極的に参加していくことも、国立大学に期待される重要な役割ではないかと考えています。
 「情報Ⅱ」レベルの授業が必要不可欠である一方で、現在そうしたレベルの教育ができる人材が不足しています。主要都市では企業等の実務家教員を得られますが、地方では難しいのが現状です。そのため、国立大学の情報分野の教員が支援するような仕組みをつくる必要があります。2025年より、大学入学共通テストで情報科目が追加され、こうしたムーブメントが起こっている今がラストチャンスなのです。

※1  自律的な人工知能が自己フィードバックによる改良を繰り返すことによって、人間を上回る知性が誕生するという仮説

西尾 章治郎(にしお しょうじろう)
1951年生まれ。岐阜県高山市出身。京都大学工学部卒業、同大学大学院工学研究科博士後期課程数理工学専攻修了(工学博士)。京都大学工学部助手、カナダ・ウォータールー大学客員研究助教授、大阪大学基礎工学部助教授などを経て、1992年同大学工学部教授に就任。その後、大阪大学サイバーメディアセンターの初代センター長、同大学院情報科学研究科長、同理事・副学長などを歴任し、2015年8月より現職。紫綬褒章、文部科学大臣賞、文化功労者など受賞。専門分野はデータ工学。