73号 OPINION 特集【URAの活躍】

あらゆる人や組織のつなぎ役として、学術研究の活性化を支えるURA

 
東京大学先端科学技術研究センター気候変動科学分野 特任研究員
村山 育子
茨城大学研究・産学官連携機構 URA/博士(学術)
平山 太市
神戸大学学術研究推進機構学術研究推進室 政策研究職員
平田 充宏
自然科学研究機構共創戦略統括本部 特任准教授/博士(医学)

坂本 貴和子  

資金の獲得、円滑なプロジェクト進行、共同研究や産学連携、分野融合に向けたマッチングなど、研究マネジメントの領域で存在感を増しつつあるURA。
一方で、URA がどのような経歴を持ち、どのような業務を担っているのかなどは知られていないことも多い。
実際に大学や研究機関で活躍する現役URA が、仕事の内容や抱える課題、今後の展望について語り合い、URA の意義や今後のあるべき姿を探っていく。

バックグラウンドも動機もさまざまな現役URAのこれまで

― 皆さんがURAになられた経緯と、現在のお仕事内容を簡単に教えてください。

村山:私は一度企業に就職したあと大学院に戻って勉強したのですが、大学院を卒業したら大学・研究機関の広報に関わりたいと考える中で「URAという仕事がある」と聞いたのが、URAを知った初めての機会でした。その後、東京大学先端科学技術研究センターの広報職員となって数年経った2016年度、東京大学でURA学内認定制度がスタート。上司より認定を受けることを勧められ、私が東大のURA認定を受けたのが確か2020年でした。その時点で東大には、すでにURAの肩書を持って主体的にプロジェクトを進めている方がいて、彼らが私の憧れであり、ロールモデルになった側面はあったと思います。その後、現在担当している科学技術振興機構(JST)のプロジェクト担当へ異動しましたが、この異動は認定を受けたことも一つのきっかけになりました。

平山:私は、博士課程の最終学年のとき、当時の指導教官に「茨城大学、群馬大学、宇都宮大学の3大学で実施している研究支援人材育成コンソーシアムで、URA職を育成しながら各大学に配置する事業がある。応募してみないか?」と言われ、応募し着任しました。
 それ以来約10年間、大学で研究支援業務に当たっています。具体的には、科学研究費助成事業(科研費)の申請支援や産学連携、またそれとは別に、中期目標・中期計画のKPIの設定や文部科学省に対する組織整備の概算要求など、どう戦略的に提案してどういう調書を作るかというところまで幅広く行っています。産学連携、科研費申請などについては全学的に支援を担当しているため、自分の専門に限らず全分野の支援に従事しています。

平田:私は学部卒業後、企業に少し勤めたあと大学の事務職員になり、最初の6年間は知財グループで全学の知財関連業務を担当していました。その頃に感じていたのが、先生方との間が縦割りになっているためうまくいかないこと、またそれに気づいているのに自分の立場からは言い出せないというもどかしさでした。その後理化学研究所に出向して研究支援に関わり、研究者との距離の近さに感動した経験から、改めて「こんなふうに先生方の近くで伴走する仕事がしたい」と思うように。そんなとき神戸大学が事務職員からURAを募集するという機会があり、躊躇なく応募して今に至ります。
 主な業務は、競争的資金の獲得支援、いわゆるプレアワードですね。また最近ニーズとして増えている、人文社会学研究者とその他の分野の研究者とのマッチング、企業や自治体との共同研究に向けた仲介等もしています。
 専門は商学なのですが、担当分野は人文学から社会科学まで幅広いため到底カバーしきれません。その対策としては、ひたすらホームページで先生方の分野の情報を検索し、また、先生方のニーズを知るため、ここ3年は毎年100名を超える先生方と面談するなどして何とかこの課題を乗り越えようとしています。

坂本:私はかなり経歴が変わっていまして、もともと歯科の臨床医をしていたところから研究畑に入り、学位を取ったんですね。たまたま前任者の異動で広報の仕事を打診され、ご奉公の気持ちでお引き受けしましたが、当初は研究者の道から外れるつもりは全くなかったんです。しかし、どうも二足のわらじでやれるような業務内容ではないことがわかったので、6年前に本格的に今の仕事に移りました。
 その後、今在籍している自然科学研究機構本部に移り、本部URAの仲間たちと、天文からエネルギー、分子・生命科学分野に至るまで幅広い分野を統括し、どの分野の研究者も等しく研究が遂行できるよう、さまざまなサポートを行う仕事をしています。
 ですから、当初は何か「これがやりたい」という気持ちでURAになったわけではなかったのです。研究者時代、私は自分のことを「知りたいの化け物」と呼び、その「知りたい」を自分の研究を積み重ねることで叶えていました。URAになるとそれを諦めなければいけないと思っていて、ややネガティブに感じていたのです。

平山:私も正直、最初は上司に言われてURAになったという感じでしたよ(笑)。ただ、やってみてわかったのですが、URAのやりがいは、いろんな分野のいろんなマニアックな先生の研究にどっぷり浸かれること。最近衝撃を受けたのは、江戸時代から現代に至る英単語帳の研究をされている先生のお話で、そういう他にはない研究に触れ、場合によってはまだ世に出ていない段階で、先生と1対1でディスカッションできることは本当に面白いと感じています。

坂本:確かに現在のポジションに立ってみると、最初の印象とは全く違って、私のところに自分一人では知り得ないようないろんな知がまとまって、一番初めにやってくるんですよね。それに気づいたとき、「これは自分が研究するより早い!こんな面白いことはない!」と思いました。URAになるときには自分の生き方を否定するような気持ちにすらなったけれど、実は失うものなんて何もなかったんです(笑)。

村山育子
企業勤務を経て大学院で素粒子研究に取り組み、2011年に東京大学先端科学技術研究センターの広報担当に。現在は同研究所にてJST COI-NEXTのプロジェクト担当のURAとして活動中。

役割が固定されない存在だからこそ縦割りを解消する「つなぎ役」になれる

― URAの仕事は、一般にはやや伝わりにくい部分もあるようですが、皆さんはどのように説明されますか?

坂本:URAをひと言で言うと、私の中では「つなぐもの」。URA自身が研究者と伴走するのはもちろんのこと、その先の研究者と研究者、そのまた関連の研究者、それから研究者コミュニティ同士、そして大学と研究機関であったり、もっと重要なのは研究者と事務の皆さんの間をつなぐことです。手をつなぐ先というのは無数にあります。そうやって人同士をつないで、最適解は何かを考える仕事がURAの仕事だと思います。
 特に私の所属は研究機関なので、幅広い分野の方々がさまざまな研究者コミュニティを持っています。その先生方や事務の方々などに寄り添い、皆さんのプライドや、大切にしておられることを守りながら、どう仕事を楽に進めていけるのかを考えるのが重要だと思っています。

平山:「アドミニストレーター」という言葉から、着任前には上級職のイメージを持っていたのですが、実際、やってみるとアシスタント的な側面も大きく、先生方が講義や研究指導、校務を行う中で、自分たちのパフォーマンスでどれだけ研究時間を捻出できるか、また研究費が競争的資金化する中で、いかに必要な資金を確保できるかが問われていると感じました。
 こうしたことはポスドクを雇うことでも解決するのかもしれませんが、それだけでなく、もう少し幅広く、多くの分野の、多くの先生が少しでも研究に没頭できるようにするのがURAです。URAが設置されたばかりの茨城大学で、自分たちの存在価値を認めてもらうにはやはり「研究時間の捻出」が必要だと思って動いてきました。

村山:私が皆さんと違うのは、ポストアワードの仕事に特化していることですね。すでに資金は獲得済みなので、私にとってのURAの仕事は、「研究が滞りなく進んで成果が出るようにすること」、いわば「運営支援」になります。
 例えば、JSTのプログラムであれば、円滑に研究が進んでいるかといったヒアリングが入ってきます。その際に場のセッティングやサポートを行うことで先生方や研究者の負担を軽減し、プログラムはスムーズに動いていく。参画企業や自治体との関係調整を行うのも同じです。あわせて「成果を見せていく」のも重要な役割であり、そうした「見せ方」についてはこちらから先生方にご提案していくこともあります。

坂本:ここまでの皆さんのお話も本当にいろいろで、それがURAの仕事がよくわからないものになっている理由でもあるんですよね。さまざまなURAがいて、動き方も決して縦割りではありません。広報担当URAが産学連携に関わったり、基金に関わったりすることもある。「これをやるのがURAだ」という形がなく、いつも何者でもなく、何色にも染まらない。だからこそ隣同士をつなげやすいのだと思います。「○○担当」という切り口で見てしまうと、URAの本質は見えにくいかもしれません。
 私の仕事も、一般の皆さんへの広報の側面もあれば、各研究機関の個別の広報担当を取りまとめる総括の役割もあります。また、各プロジェクトをどうPRしていくか、文部科学省にどう訴えかけていくかといったところにも絡んでいきます。私は自分のことを「戦略広報」だと思っていますが、そういう戦略的なところを、いろいろな人と手を携えながら進めていく、やたらコミュニケーション力の高い存在がURAなんですね。URAの肝は「人間力」。

平田:「つなげる能力」ってURAにとっては本当に大事だと思います。例えば、文系と理系、両者の共通項は何なのかを日々研究者と話し、この先生とこの先生なら連携できるのではないか、ということを把握してつないでいくのもURAのスキルです。産学連携では包括連携を締結しているダイセルと人文社会系研究者との双方の意向を踏まえて調整し、複数の人文社会系の共同研究が開始されました。この研究力向上につなげる機能はURAの強みの一つと感じています。

平山:茨城大学では、2020年から産学連携の共同研究で大区画圃場における水稲栽培の実証研究を実施しています。その際、URAが共同研究のコーディネートや契約締結の作業を担当した他、毎年収穫される10~20トンの収穫米の子ども食堂などへの配布を実現し、この活動はメディアにも取り上げられ、共同研究は今も継続中です。研究成果はもちろん、その成果物をうまく社会につないでいけた事例だと感じています。

平田:私は人文社会系のシーズやニーズは把握できるので、他のURAが自然科学系のシーズを持って帰ってきてくれて、それをURA同士でディスカッションした結果、例えばELSI(Ethical, Legal and Social Issues)研究などの異分野共創のマッチングが何件も生まれたりします。そういうところがURAの連携の価値ではないかと思います。ちなみに神戸大学のURAは現在10名ほど。その相乗効果がURAの活動に欠かせないのだと思います。

村山:東大では学内の認定を受けたURAのうち、現在在籍しているのが全学で60名ぐらい。その60名の中で、1~2カ月に一度ぐらいミーティングがあり、情報交換も活発に行われています。異なる担当分野を持つURAとの情報交換にはとても助けられています。例えば業務の参考になりそうなセミナーやシンポジウムの情報、文部科学省の審議会を傍聴し情報を共有してくださる方がいるなど、一人ではできない活動という意味でも、URA同士のネットワークで助け合っています。

平山太市
教育学部で障害児教育を専攻し、博士課程まで認知神経科学や実験心理学分野の研究に従事。2015年3月に茨城大学研究・産学官連携機構のURAとなった。

多様な関係者と触れ合う中でOJTで育ってきた「第二世代」のURA

― URAの数を増やしていくには育成の仕組みが必要だと考えられますが、URAの育成はどのように行われているのでしょうか。

平田:学部卒で元事務職員の自分が今、一定のURA業務ができているのは、複数の先輩URAがOJTについてくれて、業務を学ぶことができたからだと思っています。そうしたOJTや、その他RA協議会、人文社会系URAのネットワークなどの機関を超えた連携がURAの人材育成には必要だと感じますね。

村山:東大のURA認定制度は、すでにURAの業務に携わっている人が、そのスキルや専門性、経験等を東大でのURAの定義に沿って審査を受けて認めてもらう制度ですが、事前にリサーチ・アドミニストレーター推進室で毎年開催する認定希望者向けの研修を受講する必要があります。講師はすでに認定されたURAで、URA業務について講義とワークで学ぶことができ、認定希望者だけでなくURA業務に興味のある人が参加できるようになっています。

坂本:自然科学研究機構では、大学界に共通する課題について考えるため、主にURAが研究大学コンソーシアム(国立大学41大学が参加して、大学の研究力向上に貢献するための活動を展開)に関わっています。このコンソーシアムの中にもURA認定制度があり、URAの地位の確立・向上に努めていますが、認定プログラムを受けていないと自然科学研究機構のURAになれないということではありません。
 実は自分自身も特に「育成」された記憶がなく、URAが何なのかもよくわからないまま育ってきた気がします。いわば試行錯誤の世代ですね。振り返れば、いろんな先生方やプロジェクトとの関わり、さらには評価担当の方々や書面作成に当たっての事務方との会話など、多様な部局の方々と接する機会をいただく中で育ってきたのかなと思います。

平山:我々には、群馬大学を中心に立ち上げた「人材育成コンソーシアム」の研修があり、それが今のスキル認定機構の研修に合流したので、直近着任したURAには、そのファンダメンタルコースを受けてもらいました。研修後は、OJTとして実務に対応しながらスキルを伸ばしていくことになります。また、人材育成コンソーシアムの大学間で課題を持ち寄って合同でディスカッションするなどの交流、研修も行ったりしています。
 ただ、一口にURAと言っても人によってバックグラウンドも目指す姿も全く違うので、必要なトレーニングやステップも全く違います。そこが、育成コースを整備する難しさだと思います。
 育成コースの整備も重要ですが、URAの裾野を広げるには認知度の向上も重要だと思います。茨城大学では、研究支援の専門職であるURAのほか、教育のコーディネーションを担当するUEA、あるいは広報などさまざまなところに専門職が配置され始めています。このように、大学にいるのは事務職員と教員の2職種ではなく、もっと多くの専門職が必要なのだということを、大学や国レベルでアピールする必要がありそうです。
 私は、自分が大学院新卒で直接URAになったこともあり、まずは大学院博士課程新卒の人を対象にURAの認知度を上げていくことが、裾野を広げていく一つの方策ではないかと思いますね。

平田:認知度の重要性は私も強く感じていました。以前学部生と話をしていて、「平田さんって何してる人なんですか?」と聞かれ、URAのことを説明すると「めちゃくちゃ面白いですね!私は将来それになりたいです」と言われたことがあります。そのとき気づいたのが、「URA自体やその業務内容を知らない人は我々が思う以上に多いのではないか」ということ。存在としては黒子ですが、認知度を上げることも必要なのではないかと思います。

坂本貴和子
臨床歯科医を経験したあと、自然科学研究機構生理学研究所で学位を取得。その後同研究所広報を経て、自然科学研究機構本部所属のURAとなった。

「研究の世界」がわかることは大事だが必ずしも大学院卒である必要はない?

― 前出の学生さんのように「URAになりたい」という人は、現状ではどうしたらよいのでしょうか。

平田:残念ながら、現状のURAの公募の条件は修士、博士以上が大半。ですから、まずは大学院に行く、ということになってしまいますね。

村山:また、URAの公募はほとんどが経験者を求めています。求められる「経験」の内容は、具体的には産学連携、研究支援、あるいはプロジェクトマネジメント経験などですね。こうした状況に対応するには、まず新卒を必要なラインに持ち上げてあげる必要があります。東大の認定の場合はまず大学の教職員であることが条件ですし、スキル認定機構による認定でも、知財についてなど、最低限の事務職員レベルの知識が求められます。私も「なりたい」という人の相談を受けたことがありますが、そのときは、「まずは大学の事務職員として応募するか、同様の研究機関、省庁などで経験と知識を積み重ねるのがよいのでは」とアドバイスしました。

平田:学士のURAである自分としては、博士号を持っていた方がよいかについては、半分ノー、半分イエスだと感じています。実際、支援前の印象はともかく、支援を始めてからは、私に博士号がないことを気にする先生はいませんでした。一方、自分がちゃんと学位論文を書いたうえでURAになっていれば、先生と話せる話の深さも違うのだろうな、とは思います。
 ただ、現在は担当分野が広すぎて、いずれにせよゼロからの勉強は欠かせません。そういう意味では学士であってもできることはある。それこそ坂本さんが言われていたように、コミュニケーション力や、何色にも染まらない、裏返せば何色にでも変われるというのも重要なURAのスキルです。そうやってURAに求められるスキルが明確になれば、それもURA育成に役立てられるのではないかなと思いました。

坂本:私の印象では、企業に勤めていらっしゃった平田さんや村山さんのように人生経験豊富なURAは多く、大学院で研究をしていたから素晴らしいURAになるとも限らないと思っています。またURAは「つなぐもの」と言いましたが、それがメインの役割ではないのではないか、それならば、まずは人生の中でメインになることを目指して努力して、そのあとで目指してもよいのではないかとも思います。
 以前、大学院生に「URAになりたい」と相談されたときに私が言ったのは、「研究者として芽が出なそうだからURAを目指すのであれば、失敗するからやめておきなさい」ということでした。確かにURAは、研究者としてのポストがない状況であれば、博士人材の選択肢になり得ると思います。しかし、URAを目指すからには相応の覚悟を持って来てほしいです。

平山:さまざまなキャリアを持つURAは、研究者と社会をつないでいくうえでも役立ちますよね。例えば、永年企業で働いていたURAが企業側の考え方やマインドを知っているのは産学連携に有利ですし、官公庁にいた方がパイプ役になってくれるのは大学としてもありがたいものです。ただ、やはり画一的な育成は難しい。単純にURAの数を増やすことや、博士人材の活躍という状況の出口として考えるなら、大学院から直接URAを目指してくれるのもよいのでは、とも思います。

平田:私は、「なりたい」と言ってきた学生が大学院を経てURAになっても、学部からでも、社会人になってからでも、どれでもいいと思っています。全員にURAを目指す機会があればよいのではないでしょうか。
 また、URAの仕事にはサポート役の面もありますが、「URAの自分だからこそそこをつなぐことができた」と言えるならば、そういう面では主導役でもあります。さらに、URAの役割の一つがプログラムマネジメントであれば、これは十分に主導的な役割です。私がJSTのPM研修(プログラムマネージャーの育成・活躍推進プログラム)を受講した際に学んだのは、「社会課題からのニーズドリブンで、他大学も含めてシーズを集め、文理融合も活用しながらチームをつなぎ合わせ、課題解決を目指して進めていくのがプログラムマネジメントである」ということ。私たちが第二世代だとすると、今後、第三世代、第四世代でそうしたURAが増えてくるのではないか、そういう形で、新卒で「メインの仕事」としてのURAを目指すのもありではないかと思っています。

坂本:いずれにしても「アカデミアに対する知識」は必須でしょうね。研究の世界は、学部までの「人から与えられる教育」の先にあるもの。学部卒でもよいですし、何か資格が必要なわけでもありませんが、そういう世界に何らかのイメージがある人でないとURAは難しいと思います。

平田充宏
学部卒業後、企業勤めを経て神戸大学の事務職員となり、出向先の理化学研究所で研究支援を経験。2019年より神戸大学で人文社会系分野のURAとして活動している。

URAは大学が生き抜くための力になる まずはその価値を広めよう

坂本:大学院新卒をURAとして育成しようという動きにならないのは、結局、大学も研究機関もURAというサポート要員を育てる余裕がないからかもしれません。せっかく若手からURAを育成するプログラムを組んでも、即戦力として使えないのであれば見合わないということになってしまうのでしょう。

平田:URAの確保にはお金の問題も大きいと思います。大学側の自助努力でURAを確保しても、専任での雇用は難しいもの。国には、何とかURAを専任で雇用できるお金をさらに用意していただけると大変ありがたいです。

坂本:現状では、もうその人がいないと進まないというくらい組織の基幹に食い込んだ仕事を担うURAはいるし、我々の機関からURAがいなくなったら本当に業務は進まないと思います。まずは大学や研究機関側に「URAが不可欠だ」という認識を持ってほしいですね。「何者でもない」がゆえに縦割りに縛られない存在を置くメリットを考えてもらえれば、一人くらい雇えるのではないかと思います。

平田:そう思ってもらうためには、URAに求められる「研究力強化」について我々の成果、つまり「何をしたか」をしっかり発信していくことが重要だと思っています。

坂本:今後博士人材が多数出てくるのであれば、「URAを育成するプログラム」というより、「URAはこんな仕事をする人だ」という知識を大学院で与えておくのはよいかもしれませんね。

平山:そういう人がいるのだとわかれば、大学院生が自分の将来を考える参考にもなる。同時に認知度も上がるわけですね。

村山:今はアントレプレナーの授業などもあるので、その中でURAの仕事についても紹介するという方法もあるかもしれません。

平田:私はプレアワードの一環として、研究者の登竜門と言われるDC(特別研究員)の申請書を博士課程の学生同士で見せ合ってコメントし合うワークショップを主催していますが、そこではいつも、URAの存在と役割について噛み砕いて説明しています。

坂本:そうやって、大学や研究機関に「URAを雇いたい」と思ってもらえる活動を、私たちが率先してやっていかなければならないということですね。