74号 LEADER’S MESSAGE 特集【未来社会に向けた教員養成】

日本の未来の鍵を握る教員養成

東京学芸大学長
國分 充

少子高齢化が急速に進む日本にとって、教育の質向上は喫緊の課題です。
質の高い教育の普及は、教育を受けた本人の人生を切り開く大きな力となるだけでなく、
国の力を押し上げよりよい未来を築くための原動力となります。
その中で、教師は常に教育の最前線で国の未来を担う子どもと接し、指導をしております。
そうした日本の教員の養成について中核を担ってきた国立大学では、従来の学部教育に加え、
教職大学院を中心に、各大学が専門性の高い特色のあるプログラムを開発しています。
長年、日本の教員養成を牽引し、教員養成フラッグシップ大学の1校に指定された東京学芸大学の國分充学長に、
国立大学の未来社会へ向けた教員養成の意義や役割についてお話を伺いました。

世界で評価される日本型教育

 

地球温暖化、ウクライナやガザでの地域紛争──。教員養成の現場は、今、我々の目の前にある人類の存亡がかかった問題に対処し、解決に導く人間として、子どもたち、教師を育てる任務を担っており、 教育こそが鍵になると、國分学長は語る。

 

― 國分先生は、子どもたちの教育を行う教師を育成する立場から、日本の教育全体をどのようにお考えですか。

 教育は社会の関心も高く、そのため難点を指摘されることが多いのですが、私は、日本の教育は基本的にうまく機能していると思っています。というのは、日本中のどこにいても、日本の子どもは同じような教育を受けられることになっていて、子どもの学びの内容は学習指導要領によって規定され、保証されています。
 一方、子どもを教えている教師は必ず高等教育を受けていて、資格としての教員免許状をみな所持しています。このことは、教員免許の中身と併せて、法により規定され、保証されています。学習者である子ども側と、教える側である教師の両側ともに、質の保証がなされているわけです。
 今から10年ほど前、本学はOECD(経済協力開発機構)との共同研究を始めました。そのときに、日本の教育システムは“OECD 生徒の学習到達度調査(PISA)” で高い水準をキープし続け、OECD からは質の保証がなされた上に、コスト・パフォーマンスもよい、と評価されていることを知りました。先ほども言いましたとおり、教育は批判も多く受ける分野ですが、こうした海外からの評価を見ても、日本の教育システムは基本的にはうまく機能しているというのが私の基本認識です。
 一方で、そうした認識を持ちつつも、現代社会の動き・変化が、例えば、DX 化やAI の開発、SNS の普及等のように著しく急なので、それをキャッチ・アップしていく点において、特に教員養成の側でやや遅れるという課題はあるかなと思っています。というのは、学習指導要領は10年に一度改訂されて時代に合うものにキャッチ・アップされることになっているのに対し、教員免許の質の担保は法令によりなされているので、法改正のハードルもあり、キャッチ・アップで後れをとることも生じていると思います。

時代とともに変化する教育に対応できる教 師に必要な力

― 教育の目的とはどこにあるとお考えでしょうか。

教育目的というのは、概念的には、子どもにとってと社会にとっての2面から整理でき、教育基本法の記載もそうした構造になっていると思います。私なりに敷衍しますと、教育の目的とは、人々が文化を享受して、人生を楽しみ、意義あるものにする、そうすることで、まわりの人たちにも貢献するというものかと思います。端的には、子どもも社会も幸福になるということだと思います。学校では学問を背景にした教科を教えることが主となりますが、教科には人類の積み上げてきた英知が凝縮・結晶化されていて、人生を楽しむための基礎となるものや、社会に貢献する手立てなどが詰まっていると思っています。

― その目的のために、日本の教育はどうあるべきなのでしょうか。

私の思う教育目的というものは普遍的なものだと思いますし、先ほども言いましたように、日本の教育システムはうまく機能している、というのが私の基本認識です。そのため、私の考える教育目的についても、日本の教育システムは基本的には対応ができていると思っています。先ほど、日本の教育は現代社会の急激な変化に対して遅れがちと言いましたが、先に挙げたDX 化やAI の開発、SNS の普及等、対応の遅れを批判されつつも、教育界はともかくも対応していくだろうと思っています。
こうした点で私は楽天主義者ですが、ただ、今、われわれの目の前には、人類の存亡がかかった問題が生じています。それは、地球環境と人類の諍いの問題で、温暖化と戦争です。今や地球の温暖化は、大災害を世界中で頻発させる事態となっています。また、ウクライナやガザなどに見られるような人間同士の争い。20世紀の二度の大戦や、さまざまな地域紛争を通じて、もうこりごりと思ったはずなのに、それがまた新たな枠組みで生じ、なかなかやまない。こうした現代の地球環境、そして人類の危機は、深刻で甚大です。これらの危機に瀕しているということを我々は強く認識し、そのような問題に対処し、解決に導く人間として、子どもたち、教師を育てていかねばなりません。そうした任務をわれわれは背負っている、教育こそが鍵となる、ということは肝に銘じなければならない、と思っています。

― 東京学芸大学では新しい教育方法というものに関してどのように対応しようとお考えでしょうか。

 最近話題となった新しい教育方法にアクティブ・ラーニングがあります。これは、“ 主体的・対話的で深い学び” という言い方で定着しましたが、本学では、子どもたちのアクティブ・ラーニングによる学びを進めていくために、教師もアクティブに学ぶ経験をする必要があるということで、いち早く教職大学院の授業にこれを取り入れました。また、学部の授業への導入を図るため、第3期の中期目標・中期計画にアクティブ・ラーニングを取り入れた授業数を数値目標として掲げて取り組みました。さらに、アクティブ・ラーニングを進める環境整備として、グルーピングが容易な可動式の机や椅子を用意した大小多くの教室から成るアクティブ・ラーニング棟を建設しました。その結果、教職大学院、学部ともに、今やアクティブ・ラーニングはごく自然な授業の光景となっています。
 それから、教員養成では、教育職員免許法により置くべき授業科目が縛られているために、お仕着せのカリキュラムになりがちですが、こうした状況は、子どものアクティブな学習活動を進めようとするこれからの学校・教師にはそぐわないと考え、カリキュラムに自由度を持たせ、学生個々人が自らカリキュラムをデザインする「自律型カリキュラムデザイン」の導入を教員養成フラッグシップ大学の枠組みの中で図りました。
 そして、その中で、教員養成フラッグシップ大学に認められた特例科目など、現代的な教育課題を考える「教育創成科目」の導入も図りました。「自律型カリキュラムデザイン」というのは、大学が定める2つの「目指す人材像」や、5つの「教師の資質・能力」と、この教育創成科目を組み合わせ、学生自身が目標とする教師像を自ら設定し、それに合わせて履修科目を選んでいくというものです。本学の学生には、自ら目標を設定し、そこに向かって学習していくというアクティブな経験をしっかり積んでもらおうと思っています。

東京学芸大学では「自律型カリキュラムデザイン」をはじめとした現代的な教育課題を考える 先導的なフラッグシップ特例科目を開発・導入している。

未来を創る教員養成フラッグシップ大学

― その教員養成フラッグシップ大学に東京学芸大学は指定を受けました。その内容を教えてください。

 教員養成フラッグシップ大学は、「令和の日本型学校教育」を担う教師の育成を先導し、教員養成のあり方自体を変革していくための牽引役を担うことを期待されて創設されたものです。教員養成フラッグシップ大学には15大学が申請しましたが、その中の13校が国立大学で、これは、教員養成に対する国立大学の使命感の表れだと思います。審査の結果、東京学芸大学をはじめ計4つの国立大学が選ばれました。
 東京学芸大学では、先ほども触れた「自律型カリキュラムデザイン」を取り入れただけでなく、「社会に開かれた探究と創造の学びのデザイン」「学びを支えるファシリテーションの技法」といった現代的な教育課題を考える先導的なフラッグシップ特例科目を開発・導入しています。文部科学省には、教員養成フラッグシップ大学4校の取り組みから、新しい教員養成カリキュラム像を構築していくという狙いがあるようです。

 

― 教員の養成はいろいろな大学で行っていますが、どうしてですか。

 教員免許を取得するための課程を教職課程と言いますが、一定の基準を満たせば、教育学部以外の一般の学部、理学部や文学部でも開設することが可能です。教員養成は一般の学部にも開かれているということで、それを開放制の原則と言っています。これは、戦前の教員養成が主に師範学校でのみ担われてきて、その閉鎖性が日本の軍国主義教育の温床となったという反省から生まれたものと言われています。開放制によって、学校の教員の多様性を確保しようとしているわけです。大学の設置形態で言えば、国立、公立、私立の出身者がいて、学部で言えば、教育学部の他、いろいろな学部の出身者がいることにより、教師の多様な視点が確保されることになります。ただ、これは言うまでもないことでしょうが、そのように多様な視点が確保されつつも、いずれの教師も教職課程を履修したうえで教員免許状を取得しており、共通の質保証がなされていると言えます。これを免許状主義と言います。
 その中で、小学校の教師には、国立大学の出身者が多いと思います。これは、小学校の教員養成は国立大学が担うということで、戦後の教員養成がスタートしたからです。小学校では、教師は全ての教科を教える必要がありますので、一般学部の専門領域とはなかなか重ならず、開放制に馴染みにくかったという事情があったのだと思います。
 そのため、小学校の教職課程はもっぱら教員養成を主とする学部でないと開設できず、そうした学部を有しているのは国立大学がほとんどであったので、2005年までは国立大学が小学校の教員養成をほとんど担うことになっていました。今は、他の大学も参入しやすくなり、小学校の教師も国立大学の出身者だけではなくなっていますが、それでも国立大学の出身者が特に地方では多いと思います。

― 教員養成は今後、どうなっていくのでしょうか。

 教員養成にあたって免許状主義と、開放制の原則は、今後も維持されていくと思いますし、これらは大事な原則だと思います。現在開かれている中央教育審議会の教員養成部会では、私も臨時委員の一人として議論に参加していますが、教師不足の中で、教師を目指す学生を増やすための方策として、教員養成系学部以外の教職課程を履修する学生の負担軽減の方策も議論されていくようです。
 教員免許は2種、1種、専修免許の3種あり、どの免許でも教壇に立つことができますが、大体20単位ずつ積み増していくという構造になっています。そして、2種免許は短大卒業の水準、1種免許は4年の大学卒業の水準、専修免許は2年の大学院修了の水準となっています。学生の負担軽減策を立てるのであれば、4年制の大学卒業の場合にも、2種免許の水準まで取得単位を下げるというのはあり得るかもしれません。そうすると学生の教員免許取得に必要な単位数は20単位程度少なくなり、学生の負担軽減につながります。
 ただ、教師の質の担保という点からすると、例えば学校現場での課題に対応するような学びの科目について、単位を積み増すというようなことが必要かと思います。その際の積み増す科目として、先ほど言った教員養成フラッグシップ大学で開発している科目を使うなどのやり方をすれば、教員養成フラッグシップ大学の成果を活かすことができるかと思います。これは私の持論で、先日開催された教員養成部会でもこうした趣旨のことを申し上げました。
 また、教職の専門性を磨くための専門職大学院として、教職大学院があります。学部段階の学生の負担軽減を図るとすれば、今後は、この教職大学院が教職の専門性の向上・高度化を図る場として、機関としての重要性を増していくと思います。この教職大学院のほとんどは国立大学が設置していますので、結果的に教職の高度化を国立大学が中心となって担っていくということになると思います。

人が人を教え育む意義

― 今、学校では教員不足が深刻だと聞きます。教育現場の問題についてどのようにお考えですか。

 教師を取り巻く環境に厳しいものがあるというのは、確かだと思います。が、しかし、社会の理解が不足している点もあると思います。
 例えば、教職調整額は残業代に代わって公立校の教師に支給されているものですが、これは期末勤勉手当、地域手当、退職金にも跳ね返ってくるものですし、今後10%までアップされることが予定されていると聞きます。また、給与水準も決して低くなく、初任給は経団連加盟団体平均より高く、離職率も低い。こうした点を見ると、教職を一概に“ ブラック” とすることには疑問があります。本学では、こうした情報を公認会計士の方にスライドに整理してもらって、学生のキャリア支援の際に見せるようにしています。
 一方で、部活動や、保護者や地域対応等は、確かに大きな負担になっていることと思います。こうしたことについては、やはり外部人材の活用ということが鍵になると思います。部活動については外部委託が進められるようになってきましたが、保護者や地域対応については、もう少し知恵を集める必要があるように思います。
 また、教員不足、志願倍率の低下の原因についても、教職が“ ブラック” だからと言われたりもしますが、これも注意が必要です。例えば、倍率の低下が著しいと言われる小学校の教員採用試験を受験する新卒者の数は、ここ何年も1万7千人くらいと一定しており、減ってはいません。既卒者が減っているので、倍率が低くなっているのです。つまり、小学校の教師になろうと思って大学に入ってきた学生は、教師を取り巻く厳しい環境についての報道がある中でも志を変えることなく、小学校の教員採用試験を受けているということです。さきほど言いましたように、小学校の教員養成は国立大学が担ってきたという伝統からすると、これはわれわれの教育の成果と言えるかもしれません。
 一方、中高は確かに新卒の受験者も減っていますので、これにはいわゆる教職が“ ブラック” だという声の影響もあるかもしれません。また、中高はもともと開放制で一般学部の出身者が多いということも関係していると思います。
 教員不足に対して、大学の取り組むべき課題としては、教員採用試験の受験率を上げることがあるかと思います。教育学部を卒業し、教員免許を持っていても、教員採用試験を受ける学生は100%というわけではありません。国立大学の学生は受験者数中の合格者の割合は高いので、まずより多くの学生に採用試験を受けてもらう働きかけが必要だと思います。
 その他、本学では、教職に関心のある社会人や、教員免許は持っているものの学校で教えたことのない人などを対象に、教師や教育支援人材として転職するための足がかりとしてもらうリカレント教育のプログラムを実施しています。教壇に立つには、正規に教員免許を持っていなくても、例外的に、自治体が専門人材を教師として採用することのできる特別免許状や臨時免許状制度があります。こういった制度を利用して、教師として採用されることを目指しています。

― 現在、少子化が進んでいますが、これからの時代の教員養成はどのようになるのでしょうか。

 少子化の中で、大学は、学生数、教員数ともに規模の見直しを迫られてくると思います。それは、ある程度仕方のないことなのですが、教職課程には、課程として認められるために満たさなければならない基準があり、必要な教員数も決まっています。教科の中には、多くの教員を配置する必要のあるものもあります。
 これは、総合大学の教育学部にいた私の経験によるところも大きいのですが、総合大学の中の教育学部は、学生数に対して教員数が多いように見えるため、もっと教員を減らせるのではないかと大学内で迫られることがあります。教員数が多く見えることについては、教職課程を開設する上での特殊性であると、総合大学の学長先生にご理解いただきたく思います。
 とはいえ、人口減に見合った教育学部の規模の見直しというのは、避けられない時期に来ていると思います。それは、国立大学だけでなく、公立大学、私立大学も同様だろうと思います。そうしたときに、教職課程の縮小により、地域において必要な教員数を輩出できず、教員不足に陥るという状況を作り出さないためには、その地域の大学間で連携して、教職課程を維持していく必要があるのではないかと思います。地域の国立教員養成系大学・学部は各都道府県に1校あり、その他の大学に比してまだ体力がありますので、その中心となる役割を担うことを期待されることになると思います。

 

― AI(人工知能)が台頭する今こそ真価を問われる教師の本当の意義・役割とはどこにあるのでしょうか。

 子どもは、何かできるようになると、大人に“ 見て” とか、“ 見ててね” と言ってやって見せますね。例えば、逆上がりができるようになった子どもが、親にやって見せるというような状況です。私は、これが子どもと大人のあり方の象徴であり、教室で毎日行われていることだと思います。教師は子どもに教え、子どもは教えられたことができるようになったことを、“ 見ててね” と明示的には言わないにしても、テストというような形でも、教師に見せます。教師は子どもにとって一番近くの他人ですので、これは、子どもが、社会に対して、自分のできることを見せていく第一歩であり、社会に貢献していくということにもつながっていくのではないかと思います。教師はそうした役割を果たしていくべきですし、実際に果たしているのだと思います。これこそが、最初に言いました子どもも社会も幸福になるという教育の目的が、果たされている姿でもあると思います。
 教師の役割が知識の伝授ということだけなら、AI も急速に発達している今、その役割はAI に置き換わってしまうか
もしれません。実際、子どもの理解に合わせて、解説を加え、ドリルを課して進めていくアプリには、いろいろと優れたものも開発されています。
 しかし、最近よく使われるようになった言葉を使えば、子どもの“ 承認欲求” を満たしてくれるのは、やはり生身の人間でないとだめなのではないかと思います。このあたりに、教師の役割の本質が見えてくるように思います。
 子どもを慈しみ、教え、見守り、育む。これが教師の役割であり、その姿勢・気持ちこそが教育において何より重要で、こうしたことに比べれば、何をどのように教えるかということなど、そう大きな問題ではないと思います。

國分 充(こくぶん みつる)
1955年、宮城県仙台市生まれ。博士(教育学)(東北大学)。専門は障害児の心理・生理・病理、心理学史。1980年東北大学教育学部卒業、1982年同大学大学院教育学研究科博士前期課程修了、1988年同博士後期課程単位取得退学。東北大学教育学部助手を経て、1991年金沢大学教育学部助教授。1999年東京学芸大学教育学部助教授、2003年同大学教育学部教授、2010年同大学総合教育科学系長、2014年同大学理事・副学長、2020年4月より東京学芸大学長(現職)。